文学賞に続々とノミネートする芸能人作家。反対の声も
芸能人と文学賞③
押切もえを候補にした山本周五郎賞に、受賞者が物申す
又吉フィーバーの余熱が残る2016年。今度は、モデルでタレントの押切もえさんが、『永遠とは違う一日』で山本周五郎賞(以下、山周賞)の候補に選ばれました。
2年つづけて歓喜の出来事です。
思い返せば1986年、「新潮社が直木賞のライバルを創設!」とすっぱ抜かれたときがこれまでで最高の盛り上がりだったんじゃないか、と疑われる山周賞は、以来30年間ずーっと華やぎに乏しい賞でした。いよいよそこに進出するとなれば、断然賛成しないわけにはいきません。いいぞ、もっとやれ。
いや、むしろ遅すぎでしょう。山周賞は後発ゆえに、たいていの無茶は「新たなチャレンジ」で済ませられるのに、直木賞と似たような路線の「権威」を狙ってどうするんですか。積極的に芸能人の小説も候補に入れるような、勇気ある運営こそ求められているはずです。
おおむね、芸能界で顔を売っている方たちは、その仕事のなかに「客寄せパンダ」に近い性質が混じっています。ナニソレの発表会に、話題の芸能人が(なぜか)呼ばれて、ときに芸能レポーターから失礼な質問が飛んでは、みんな大にぎわい、という類いはその一つだと思いますけど、なりわいのなかに「多くの人の視線を集める」ことが盛り込まれている。とくに文句をつける筋合いのものじゃありません。
そういう客寄せパンダ性が、小説界でも見事に効果を発揮することは、これまでの歴史で証明されてきました。なかでも、いちばんナチュラルなのは、今回みたいに文学賞とからませる方法です。
山周賞・直木賞あたりは、候補作を紹介してもらうためにマスコミにリリースを流していることからわかるとおり、賞そのものが出版界における立派な「客寄せパンダ」です。「こういう人たちが候補になりましたっ!」「この人たちに賞が贈られますっ!」なんて些細な情報を、わざわざ広く知らせようとしているのは、まわりの人たちの目を引きつけるため以外の、何ものでもありません。いわゆる見せものです。