戦後浸透した、風雲児信長のイメージ
大間違いの織田信長 ⑫ 萬屋錦之助と大河ドラマ『国盗り物語』
萬屋錦之助と大河ドラマ『国盗り物語』
その後、一九五〇年代後半になり、萬屋(よろずや)錦之介(きんのすけ)という映画俳優が「風雲児 織田信長」という映画で信長を主演します。若い人には絶対分からないどころか、私の年代で知っているのもおかしいくらいの映画です。一九五九年の公開です。私は、たまたまケーブルテレビでやっていたので、見ていました。
この映画が大ヒットします。当時はまだ、テレビのチャンネルをひねる代わりに映画館に行くような時代で、映画こそが娯楽の王様でしたから、物凄い影響力を発揮します。なぜこの映画が大ヒットしたかを語るのはナンセンスで、結果論としか言えないでしょうが、いずれにしても、時系列として信長が人気になったのは、これが始めです。
その少しあとに、司馬遼太郎が書いた『国盗とり物語』がヒットします。一九六三年から六六年の連載です。これには経緯があって、『サンデー毎日』で斎藤道三を主役に連載していたところ、人気があるので最終回にするなと要求され、無理やり下巻を書き、信長を主役にして発行したということです。ついでに言うと、明智光秀とのダブル主役です。ということは、この段階ではまだピンで主役を張れないレベルなのです。
一九七三年、『国盗り物語』を原作に、大野靖子脚本の大河ドラマが作られます。主役は高橋英樹です。桃太郎侍で有名な高橋英樹ですが、桃太郎侍の演技のままの信長を演じています。日本人の信長イメージの原型は高橋英樹と言って良いでしょう。明智光秀の髪の毛をつかんで柱に叩きつける、というのをやったのは、『国盗り物語』の大河ドラマからです。
その前にも、大河ドラマで信長を演じた高橋幸治という役者がいたのですが、結構落ち着いた演技をしているので、今の日本人の信長イメージとはかけ離れているかもしれません。
皆さんの信長イメージが、いかに後付けだったかお分かりいただけたでしょうか。信長は時代背景や商業を根拠に、イメージを作られました。
色々な意味で、戦後民主主義の英雄が信長だったのです。
〈『大間違いの織田信長』(著・倉山満)より構成〉