利便性や外観重視…忍城(おしじょう)の復元が残念すぎる!
外川淳の「城の搦め手」第64回
■遺構の大部分は地上から姿を消した
城主の成田氏が豊臣方に降伏したのち、忍城には平和が訪れ、その後、城主には譜代・親藩大名が赴任。明治維新後、城は使命を終えると、都市化の荒波に飲み込まれ、遺構の大部分は地上から姿を消した。
昭和63年(1988)、忍城本丸には御三階櫓と郷土博物館が完成。失われた忍城の姿が再現されたといいたいところではあるが、たくさんの間違い探しを城好きに提供している。まず、忍城の三階櫓は、南東の城の隅に位置し、現在の地点とは異なる。
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