育児拒否もある難病「魚鱗癬」母と父の関わり方で発育に影響することもある【主治医の証言①】
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(4)
◆「魚鱗癬」が受け入れられず育児拒否するケースも
小川昌宏先生(国立病院機構三重中央医療センター・小児科医長)は、去年の6月、「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」に罹患した陽くんが1歳半のとき、担当医となりました。それから定期検診、病状・治療の成果を一定の頻度で見ていく経過観察を含めて、月に1度の割合で陽くんを診てきました。
「ちょうど入退院を繰り返していた頃、引き継いだのですが、その後、皮膚を改善する飲み薬が効いてきたこともあり、皮膚の状態がかなり良くなりました。感染も減り、昨年は、ときどき定期検診・経過観察に来るだけで、緊急の入院はほぼなくなりました。顔色も良く、身長・体重も標準よりやや劣るものの、順調に発達している様子がうかがえました」(小川先生)
小川先生は陽くんと会う前に、かつて2例、別の施設に勤務していたときに、「魚鱗癬(ぎょりんせん)」の子を診ていました。
1例は免疫力が弱く、抗生剤の投与を中止するとすぐ感染が再発してしまうので、副作用のリスクがあるものの抗生剤が欠かせなかったそうです。最期は肺出血で亡くなりました。
もう1例は、母親が我が子を「魚鱗癬」であることを受け入れられなくて、育児を拒否しました。その子は然るべき施設に送られて行き、担当医として胸が痛んだそうです。
「その当時より若干、医学の進歩もあり、医療施設の対応も深化しました。それを差し引いても最初会ったときの陽くんの元気ぶりは印象的でした」(小川先生)
◆育児の順調さについては「親子の接し方」でわかる
これまで小川先生は、何十万人、何百万人もの小児患者を診てきていて、育児が順調であるかどうかは、お子様の顔色や全身状態、あるいは診察室やべッドでの親子の接し方などを見れば、すぐにわかる、と言います。
「陽くんも、よい環境で育っていることは一目瞭然でした。『魚鱗癬』の子は皮膚の新陳代謝・消耗が激しいこともあり、タンパク質をはじめ、たくさんの栄養摂取が必要で、それにともない食欲も亢進し、1日に6食〜10食を取ったりします。それを与えるだけでも大変ですが、それとは別に、スキンケアのため、1回何十分とかかる保湿クリームの塗布を、1日に数回しなければならず、大変な労力がかかります。それを毎日、繰り返さなければなりません、親によっては、いい加減になって発育に影響してしまうこともあります」(小川先生)
その点、陽くんは申し分なく育てられている、と感じたそうです。
「皮膚科の先生や看護師さんなどから伝え聞く所によると、おばあちゃんやお父さんも育児に積極的に関わっていると聞き、うなずけました」(小川先生)
今年になって久しぶりにブドウ球菌による感染が起こり、2カ月間入院しました。菌が薬剤耐性となり、抗生剤が効きにくい状態になりましたが、危機を脱することができました。
「4〜6歳頃になると、皮膚の状態は今よりいくぶん落ち着いて、安定してきます。定期検診ての発達指数はやや標準より低いのですが、それは装具をつけた足や、指の癒着の後遺症による影響と思われます。知育面ではむしろ高いほうかもしれません。この『魚鱗癬』という病気が陽くんの発達にどう影響していくか、まだ評価はできませんが、医師として、注意深く診ていきたいと思っています」と、小川先生は言います。
(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より構成)
KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。