新選組で暗躍した隊士・山崎烝の人的・情報ネットワーク⁉
「新選組」の真実⑥
■山崎烝の人的・情報ネットワーク
新選組(しんせんぐみ)に参加した隊士の延べ人数は、726人を数えるという。慶応(けいおう)4年(1868)の鳥羽(とぱ)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた新選組が江戸(えど)に帰る以前の隊士で、出身地が判明している者は、東国は130人、西国は97人である。新選組というと、東国出身者が多い気がするが、意外なほど西国出身者もいたわけである。
そのなかで、山崎烝(やまざきすすむ)は、関西出身の新選組隊士の代表的な存在であろう。
山崎は、新選組が屯所(とんしょ)を置いた壬生(みぶ)村に居住していた医師林五郎右衛門(はやしごろうえもん)の子といわれている。新選組への入隊は、文久(ぶんきゅう)3年(1863)暮れ頃だとされる。京都出身で、京都市中に土地勘もあり、頭脳も明晰で近藤勇(こんどういさみ)にも愛されていたという。ここでは、そんな山崎が持っていた、人的・情報ネットワークについて触れてみたい。
近江(おうみ) 国八日市宿(ようかいちじゅく)の四郎左衛門(しろうざえもん)は、侠客(きょうかく)であったという。この人物は慶応3年(1867)3月、田村佐弥太(たむらさやた)の仲介で会津(あいづ)藩に頼みごとをした。田村は現在の近江八幡(はちまん)市出身で、新選組に入隊後、江田小太郎(えだこたろう)と名乗ったといわれる。
会津藩は、四郎左衛門からの頼みごとを、新選組に任せたようである。その内容は、八日市村の茂左衛門(もざえもん)という人物が、四郎左衛門の博奕(ばくち)について江戸まで訴え出たので、なんとかこの訴訟の出願を潰(つぶ)してほしいというものであった。この当時の村では、賭場(とば)がよく立った。「飲む・打つ・買う」が、男の娯楽と考えられていた時代である。
新選組では、山崎と谷川誠一郎(たにかわせいいちろう)を出張させた。山崎の目的は出願を許可した村役人を脅して、訴え自体を引っ込ませることにあった。八日市村庄屋(しょうや)平井新兵衛(ひらいしんべえ) は、「事(こと)に寄(よ) ったら、生首を持って帰ってもらうかもしれない」と不気味なことをいわれている。明かな脅迫である。
新兵衛は、羽織(はおり)のまま荒縄(あらなわ)で縛られ、梅の木に吊された。拷問(ごうもん)を受けたわけである。そして山崎は、「3月29日に、出願に押印したのは間違いだった」という書類を、村役人に書かせている。
なぜ山崎は、このような手荒なことまでして、侠客の願いを叶(かな)えたのであろうか。ひとつには、この時期には京都町奉行(きょうとまちぶぎょう)といった従来からの行政機関が、機能しなくなってきていたということがあるかもしれない。
しかし、それよりも侠客が持っていた「ネットワーク」が注目される。京都に非合法的に潜入してくる長州(ちょうしゅう)系の志士たちを把握するためには、社会の「裏」のネットワークを握っているアウトローを把握するのが、最も合理的な方法だからだ。
近藤はわざわざ山崎を連れて、征長(せいちょう)軍(慶応2年〔1866〕の第二次長州征伐)の本営がある広島にまで行っている。これは、「表」の社会からアクセスしたのでは取れない情報を、収集するためだったのではないだろうか。
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『明治維新に不都合な「新選組」の真実』
吉岡 孝 (著)
土方歳三戦没150年……
新選組は「賊軍」「敗者」となり、その本当の姿は葬られてきたが「剣豪集団」ではなく、近代戦を闘えるインテリジェンスを持った「武装銃兵」部隊だった!
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◆新選組の組織と理念は、本当は芹沢鴨が作った?
◆近藤勇より格上の天然理心流師範が多摩に実在!
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◆幕末の「真の改革者」はみな江戸幕府の側にいた!!
ともすると幕末・明治は、国論が「勤王・佐幕」の2つに割れて、守旧派の幕府が、開明的な 近代主義者の「維新志士」たちによって打倒され、「日本の夜明け」=明治維新を迎えたかの ような、単純図式でとらえられがちです。ですが、このような善悪二元論的対立図式は、話と してはわかりやすいものの、議論を単純化するあまりに歴史の真実の姿を見えなくする弊害を もたらしてきました。
しかも歴史は勝者が描くもので、明治政府によって編まれた「近代日本史」は、江戸時代を 「封建=悪」とし、近代を「文明=善」とする思想を、学校教育を通じて全国民に深く浸透さ せてきました。
そんな「近代」の担い手たちにとって、かつて、もっとも手ごわかった相手が新選組でし た。新選組は、明治政府が「悪」と決めつけた江戸幕府の側に立って、幕府に仇なす勤王の志 士たちこそを「悪」として、次々と切り捨てていきました。
新選組の局長近藤勇は、自己の置かれている政治空間と立場を体系的に理解しており、一介 の浪士から幕閣内で驚異的な出世を遂げた人物です。そんな近藤の作った新選組という組織 を、原資料を丁寧に読み込み、編年形式で追いながら、情報・軍事・組織の面から新たな事実 を明らかにしていきます。
そこには「明治維新」にとって不都合な真実が、数多くみられるはずです。