田舎へ帰って、死を身近に感じるようになった理由
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第十四回
■「世界の狭さ」は田舎の特徴
〈連載「母への詫び状」第十四回〉
実家に帰って介護生活を始めたことで、否応なく向き合わされたのが、田舎と都会の違いだ。
小さいことから挙げれば、朝8時前に玄関のピンポンが鳴り、野菜売りのおばちゃんが採れたて野菜を売りに来る。いい歳した男が昼間から外を歩いているだけで、「今日はお仕事、お休みですか?」と、不審者を見る目で声を掛けられる。こんな経験は東京にいると、なかなかない。
世界の狭さも、田舎の特徴である。
父親の担当ケアマネジャーの上司(事業所の所長)は、ぼくの中学の同級生だった。
母親の入院先の病院の担当医師は、ぼくの高校の同級生だった。
これが大都市で起こった偶然なら「ワオ、イッツ・ア・スモールワールド!(=奇遇だね!)」と、ハリウッド映画のように大仰な仕草で驚くべきところだろうが、田舎では別段、珍しくもないのだと思う。比喩でなくて本当にスモールワールドだから、似たようなことが低くない確率で起きる。
とはいえ、さすがに母の担当医が、かつての同級生というのは不思議な気持ちだった。自習時間に一緒にトランプで遊んで先生に怒られた仲間が、今は母の命を預かっている。
もしこれが仲の良くなかった同級生なら、病院へ行くたびに気まずかったんだろうか、田舎は怖いなあ、などと思いつつ、そんな〝逃れられない縁〟が、育った町には張り巡らされているのだと実感した。東京で暮らして三十年、もう田舎の縛りからはとっくに自由になったつもりだったのに。