【難病・魚鱗癬】「すぐ愛おしい」と思えなかった若き母「もう子どもは産めない、産む資格がない」という想い
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(24)
難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著作を綴った「ピエロの母」が医師から病名を宣告された日、母は我が子の「運命」を感謝しながら「これからの親子の人生を豊かなものにしよう」と新たなる決意をした。
■うなされる夜
私が陽(息子)にしてもいいことが少しずつ増え、ついに薬を飲ませる練習も始まった。
いつも薬の時間には、一旦、陽の傍から離れていて、飲んでいる様子を見たこともなかったため、
「今日はまずは見て覚えてね〜」と言いながら用意をする看護師さん。
しかし、その準備の段階で驚いた。
溶接作業時に手で持つマスク? のような、透明で目元をガードするマスクをつけ、更に普通のマスクもつけ、エプロンと手袋もつけて、完全防備。
手元には、薬が調合されて入ったシリンジ(注射筒)、白湯の入ったシリンジ。
その2本のシリンジが用意された。
そしてこの薬を取り扱う時には、細心の注意を払うよう、何度も説明された。
直接触れることも、鼻から吸うことも、目に入ってはいけないことも、何度も説明を受けた。
しかしどれも、〝二人目〟を考えているならの話。
もし注意を怠ると、赤ちゃんが奇形をもって、産まれる可能性があるとのこと。
正直、今の段階で、二人目のことは考えたくなかった。
我が子の病気と向き合い、前を向いて進もうと、後ろを見ないようにしているのに、遥か後方から呼ばれて、振り返って、戻らなくてはならない気がして・・・。
だから薬の説明の度に、二人目は? と聞かれることが辛く感じた。
突然変異でなければ、同じ病気で産まれてくる可能性は、4人に1人と言われている。
2人兄弟で2人とも同じ症状で、産まれたケースもある。
出産時に、初めて我が子を見た衝撃が忘れられず、トラウマにもなっていた。
夢でうなされる夜もあった。
もし妊娠したら、不安と恐怖で耐えられないかもしれない。
穏やかな妊婦生活は送れないかもしれない。
そう考えていた。
あるとき、
「妊娠できるだけいいじゃない」
「どんなに頑張っても、妊娠できない人もいるんだよ?」
「兄弟つくって、将来、助け合っていけたらいいじゃない!」と言われたときもあった。
私の悩みは、贅沢な悩みだと。
確かに、そうかもしれない。
だけど、なにか違う。
どこか納得できない。
ここが違う、と言い切れないけれど、この頃はまだ、
我が子を「すぐ愛おしい」と想うことができなかった私は、
生きようとする我が子に「頑張らなくていい」と言った私は、
もう子どもは産めない、産む資格がない、という想いに支配されていた。
あ〜ダメだ!!
またすぐに、落ち込む方向へ考えようとしている。
またゆっくり考えていこう。
だから今は、今は陽のことだけを考えよう!!!
そうしよう!!
そう言い聞かせながら、説明を受けていた。
【参考資料】
本書をもとにCBCテレビ『チャント』にて「ピエロと呼ばれた息子」 追跡X~道化師様魚鱗癬との闘い(6月26日17時25分より)が放送されました。
https://locipo.jp/creative/41a0b114-7ee7-4f24-976c-e84f30d2b379?list=5a767e90-3ff9-479c-a641-e72e77cf42c3
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【参考文献】
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』(アメーバブログ)
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子(書籍)
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。