「昌平坂学問所」では何が教えられていたか?
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」②豊島岡女子学園
■「正學」とされた朱子学
教える内容は儒学。特に朱子学です。これは徳川家康が儒学を重んじたためで、「朱學(朱子学)は慶長以来代々御信用の御事」即ち「正學」とされてきました。
「君、君たらずとも臣、臣たれ」「父、父たらずとも子、子たれ」
「五徳(仁・義・礼・智・信)によって五関係(親子・君臣・夫婦・長幼・朋友)を大事にする」「身分・立場の違いによる秩序・礼儀を重んじる」
徳川家の支配・武家の為政・泰平の世を盤石にし長続きさせるにおいて、この考えは実に最適でした。さすが徳川家康、先見の明有りですね。
当時も「家康公先見有り。既に(開府から)100年以上経つが、盤石なり」と幕臣が称えています。
江戸時代の武家社会で長幼の序、身分上下の確認を何よりも重視したのはこの理由にあります。だからこそ、幕藩体制は約270年も続いたのですから。
そして昌平坂学問所は幕臣・その子弟たちの学問所という性格上「正學護持の象徴・牙城」と目され、また、そうであることを幕府から期待されてもいました。
それが後に「素読吟味・学問吟味」に繋がるのです。
その翌々年たる1799年、松平定信は大成殿を「防火・華美戒め」のためと称し、極彩で美しい建物を現在の黒塗りに改め、屋根も銅瓦にしてしまいます。しかしこの防火措置のおかげか、1846年の大火では学問所全焼にも関わらず大成殿は災を逃れ、現存。こうなると「何をか言わんや」でもありますが…。