藤田田物語①手垢でボロボロに汚れた一通の「定期預金通帳」
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり
■40年以上続けている定期預金
〝怪物〟藤田田は、手垢でボロボロに汚れた1通の「定期預金通帳」を、自らの生存を証明する唯一無二の「宝物」のように大切に保管している。
預金通帳といっても40年以上前の1950(昭和25)年に発行された古いもので、現在の総合口座通帳のようにCD(キャッシュ・ディスペンサー)に挿入すれば残金を記帳できる便利な通帳とは異なる。
小学生が国語の漢字の書き取り練習のときに、大きな四角のマス目のついたノートを使うが、藤田が大切にしている預金通帳もこれによく似た作りだ。通帳の1ページが大きな四角のマス目、12(1年分)~16に区切られていて、その一つひとつの枠内に、預金額が漢数字(算用数字併用)で「五萬円」と縦に書かれていた。預金額の下には銀行の受領印が捺してあった。
藤田が住友銀行(現・三井住友銀行)新橋支店発行のこの預金通帳に月々5万円の貯金を始めたのは、50年のことだった。東大在学中の24歳のときのことで、この年、藤田はハンドバッグやアクセサリーなどを輸入販売する個人経営の貿易会社「藤田商店」をスタートさせた。藤田が貯金を始めたのは、藤田商店の設立がきっかけである。
50年当時の5万円といえば、大金であった。
そのころ、日雇労働者の1日の賃金が、「二個四」(〝100円札2、
10円札4〟で〝にこよん〟)という俗称のある手取り240円であった。すなわち25日間働いても、「240円×25日で6000円」にしかならなかった時代である。その時代に藤田は、日雇労働者の賃金8か月分以上にものぼる大金を毎月、定期預金していたのである。
なぜこんな高額な貯金をするようになったのか。詳しくは後述するが、藤田はこの貯金通帳を初めに、最初の10年間は5万円、次の10年間は10万円、その次の10年間は15万円、つまり50年~80(昭和55)年の
30年間、毎月平均10万円をコツコツ貯金してきた。そして81(昭和56)年からは毎月10万円貯金していた。
筆者が91(平成3)年夏にインタビューした時には40年以上にわたって
10万円の貯金を続けていた。
もちろん、50年に貯金を始めてから一度も休まずに続け、一度も引き出したことはない。
それでは、藤田の定期預金は40年間でいくらになったか──。
1年間が12か月だから、40年間といえば、12か月×40年間で480か月。その間に積み立てた元金の総額は、480か月×10万円で4800万円ということになる。これが毎年、複利でまわっていくわけだが、利まわり後の貯金額のトータルは、91(平成3)年4月現在で、なんと「2億1157万6654円」に達している。元金4800万円の5倍近い増え方である。
参考までに計算してみると、藤田の定期預金が約1億2000万円になるのには30年かかったが、この2億1000万円余になるには10年間しかかかっていない。複利預金の増え方の威力をまざまざと見せつけられる思いである。
「この貯金については、毀誉褒貶があるんですよ。土地を買っておけば土地長者になっていたとか、株を買っておけばもっと儲かったとか、いろいろ言う人もおります。実際、長い間には、この金を引き出して使いたいという局面にも何回か遭遇しました。けれども、いったん下ろさないと決めたものを下ろしてしまったのでは、自分の負けなんですね。大変な克己心がいったことは確かです。でも、それを続けて来たことで、『藤田は約束を守る男だ』と銀行からも絶大な信用を得ています。私は、息子の元(現・藤田商店社長)に、『こ
の貯金は、私が死んだあとも100年間続けてみろ』と、いっているんですよ。親、子、孫3代にわたって続けることになるかもしれませんが、そうすればどうなるか──。私のように粘り強い日本人がひとりくらいいても面白いではないか、と考えているんですがねぇ……」(藤田)
毎月10万円ずつ100年間預金したら、複利でまわっていくらになるか──。今後、預金が1億円ずつ増える期間がどんどん短縮されていくのはわかるが、これを即答できる銀行マンはほとんどいないという。
ともあれ、〝ユダヤの商人〟こと藤田田は、50年から40年以上、毎月いちども欠かさずに貯金してきた最初の定期預金通帳を、汚れてボロボロになった今も、昔と同様に宝物として大切に保管している。
〝怪物〟藤田田の真骨頂は、まさにこの預金通帳にあるといえる。
天才とは、複雑な物事を単純化する能力であるといわれる。藤田は、人生が「仕事×時間=巨大な力」という単純な図式に当てはまるということを早くから見抜き、定期預金という形でそれを実証してきた。
平凡なことを、非凡に実行する男──それこそが藤田田という怪物の正体である。
藤田がこのような貯金を始めるきっかけは、どのへんにあったのであろうか。