雑草軍団で勝つ。「オレたちにも出来る」清宮克幸が日本ラグビーに与えた勇気
降格の危機を救い日本一も経験。ヤマハ発動機を変えた名将の軌跡
■そして新たなチャレンジへ
清宮が監督として戦った8シーズン。ヤマハは疑いなくトップリーグの強豪の座に定着した。
トップリーグの順位は監督に就任した2011年度から8位→6位→5位と順位をあげ、初めて4位に入った2014年度に日本選手権優勝。以後も3位→2位→3位→3位。トップリーグ優勝こそ果たせなかったが、直近の4シーズンを見れば、すべて3位以内に入っているのはヤマハだけだ。限られた戦力で、この安定した成績を残したのは驚異的ですらある(しかもその間には、五郎丸の海外移籍と復帰という、チームの根幹に関わる変化が2度もあったのだ)。
「自分にとって大きいのは、早稲田のラグビー部で育った経験だと思う。『素材で劣る側が、いかにして勝つか』という思想を4年間で学んだから、常にそういう思考回路をしているんです」
そんな清宮にとって、大学生のトップ選手がなかなか来てくれないヤマハというチームを率いるのは、ある意味で天職であり、必然だったのかもしれない。そして、そこにいるからこその発見もあった。
「8年間ヤマハにいて、一番感じたのはメディアとの近さです。地元のテレビ、新聞社が、選手ひとりひとりの記事を紹介して、県内のファンに届けてくれる。チーム情報のファンへの浸透度はすごい。これは都市圏のチームではあり得なかったこと。地方の方がチームのファミリーを作れるんだなということを感じる8年間でした」
この日の会見の冒頭で、清宮は「カントク清宮は今日で終わりです」と宣言した。会見では、ヤマハ発動機で後任の堀川隆延監督を支えるアドバイザーに就きながら、静岡を拠点にする女子チームをGM的な立場でマネジメントしていくことや、監督時代に培った知識をベースにビジネスの世界に出て行くことなども示唆した。とはいえ、この男の働き場を用意して、待っているチームもたくさんあることだろう。
清宮克幸。ヤマハの監督を降りても、まだまだ話題を集めそうである。