謎多き日本版八陣
外川淳の「城の搦め手」第94回
かつて『歴史人』でも「戦国合戦の陣形『八陣』の謎」を執筆したことがある。しかし、雑誌では、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。そこで、『BEST TIMES』利用して、日本版八陣の謎について語ってみたい、
八陣とは中国の兵法で、古くから唱えられた8種類の陣立てのことである。陣立てとは戦場で陣を構える様式。鶴翼や魚鱗などといわれる陣形は、中国の兵法書に由来するものだと思っていた。そこで『孫子』や『呉子』などを一覧してみたが、鶴翼や魚鱗などの文字は見当たらなかった。
なお、『孫子』や『呉子』の原文は、思ったよりも文章量は少なく、鶴翼と魚鱗の文字を探すだけなら、30分程度あれば十分だった。
また、大江匡房(おおえのまさふさ)が執筆したとされる『闘戦経』において、鶴翼や魚鱗の陣が紹介されたとされるが、『闘戦経』にも鶴翼や魚鱗にかかわる記述はなかった。
鶴翼と魚鱗の文字が記されたもっとも初期の事例は江戸時代初期に成立した『甲陽軍鑑』だった。となると、戦国合戦において、総大将が「鶴翼で布陣せよ」などと命令することはなかったのかもしれない。
魚鱗や鶴翼という言葉自体に疑問を感じてしまうと、パンドラの箱を開けることになりかねず、戦国時代後期には存在したと仮定したうえで、誌面では、八陣の特性を考察してみた。
戦国時代を終え、天下泰平の江戸時代が到来すると、小幡景憲の甲州流軍学をはじめ、数多くの軍学が発生。その大多数は、実戦経験よりも机上の空論によって構成されており、戦国時代の実像を読み解く上での障害となっている。
城郭研究の世界でも、三十数年ほど前までは、軍学の影響を受けていたものの、机上の空論の部分は完全に排除されつつある。
その行き過ぎた傾向として、「虎口」が軍学用語であるとして「城の出入り口」と言い換える面倒な動きもあった。
江戸時代の軍学にも、それなりの利用価値もあり、何事も中庸が寛容だと思う。