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藤田田物語②「人生はカネやでーッ!」左翼学生に放った言葉

凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり②

■父の遺言

 そんな藤田に大きな不幸が訪れた。大阪市内にあった実家が、1945(昭和20)年3月から始まったアメリカ軍のB29の全8回にわたる大空襲で全焼し、尊敬してやまなかった父を亡くしたことである。また兄・弟・妹も亡くした。

 藤田家は、この戦災で財産のほとんどを失った。戦後も無事に生き残り、91(平成3)年現在もなお健在なのは88歳の母・睦枝と、藤田本人、それに姉・美代子の3人だけである。

「父は読書家で数千冊の蔵書がありましたが、残ったのは今でも手元にあるドイツ語の辞典と、もう一冊程度でした」(藤田)

 父・良輔は、B29の爆撃が日増しに熾烈になる中で、このときが来るのをあるいは予感していたかのように、息子の田に宛てた遺書を英文で残していた。「THE WILL」と英語で表書きされた父の遺書には、あらまし次のような内容が便箋に5~6ページにわたって書かれていた。

 

 奈良のホテルにて。時間が少し空いたので、田に書き残しておいたほうが良いと思い、ペンを執りました。日本は、島国で視野が狭く、それが高じて世界と戦争をするような事態に陥りました。戦争はいずれ終わり、平和が来ると思います。その場合、田が生きていく上では東大の法学部に進学して政・財・官界に入るか、それができなければ、慶大の経済学部に進み経済人になるのが良いと思います。日本は、学歴、学閥社会なので、そのほうが生きやすいと思うからです。仮に私が死ぬようなことがあったら、そのときは母・睦枝を大切にしてください。

 父・良輔が冗談半分に息子の田に宛てて書いた遺書だったが、これが本物の遺書となったのである。戦争は、藤田家を悲嘆のどん底に突き落とした。藤田は、こんな中で「人間は、生まれてくるのも裸なら、死ぬのも裸だ」という厳粛な事実を認識した。このあたりに「人間・藤田田」の原体験があったのではないかと推測できる。

 父の死は藤田にとって、経済的にはきわめて厳しい高校生活を余儀なくされた。家庭教師など自分でお金を稼ぐ道を得なければならなかったからである。

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中村 芳平

なかむら よしへい

外食ジャーナリスト

外食ジャーナリスト。1947年、群馬県生まれ。実家は「地酒の宿 中村屋」。早稲田大学第一文学部卒。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。1985年学研のビジネス誌『活性』(A5判、廃刊)に、藤田田の旧制松江高等学校時代の同級生を中心に7~8人にインタビュー、「証言 芽吹く商才 人生はカネやでーッ! これがなかったら何もできゃあせんよ」を6ページ書いた。これがきっかけで1991年夏、「日本マクドナルド20年史」に広報部から依頼されて、藤田田に2時間近くインタビューし、「藤田田物語」を400字約40枚寄稿した。今回、KKベストセラーズの「藤田田復刊プロジェクト」で新しく取材し、大幅に加筆修正、400字約80枚の原稿に倍増させた。タイトルを「藤田田 伝」と改めて、『頭のいい奴のマネをしろ』『金持ちだけが持つ超発想』『ビジネス脳のつくりかた』『クレイジーな戦略論』の4冊に分けて再収録した。現在、外食企業経営者にインタビュー、日刊ゲンダイ、ネット媒体「東洋経済オンライン」「フードスタジアム」などに外食モノを連載している。著書に『笑ってまかせなはれ グルメ杵屋社長 椋本彦之の「人作り」奮闘物語』(日経BP社)、『キリンビールの大逆襲 麒麟 淡麗〈生〉が市場を変えた!』(日刊工業新聞社)、新刊にイースト新書『居酒屋チェーン戦国史』などがある。

 

 

 

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