『三河物語』は戦国の1次資料などではなく、単なる老人のボヤキだ!
1次資料のごとく扱う人が多いが…
■『三河物語』に書かれていることは本当なのか
さて、『三河物語』に書かれていることは本当でしょうか。大久保彦左衛門という一老人のボヤキである、2次史料ですらない代物(しろもの)に史料価値があるかどうか、その時点ですでに怪しまなければいけません。ただし、史料等級の低い後世の創作だからと完全に無視してもいけません。
大久保彦左衛門は、末端の家臣とはいえ、当事者です。後世とはいえ、『三河物語』はまだ戦国時代の記憶が残っている時代に書かれた回顧録です。江戸時代のそれ以降のものとはまったく違います。
大久保彦左衛門が、「清康は天下を取れたとか言っている」というのは事実です。『三河物語』は自筆本も残っており、彦左衛門が書いたものだということは証明されていますから、「彦左衛門が〜と言っている」ということ自体は、まったくの事実なのです。
「天下を取る」と言った場合、彦左衛門が書いている時点では、「天下」は間違いなく家康が手に入れた「天下」、つまり日本全国を指しています。
では、松平清康が生きていた時代、清康は1511年に生まれて1535年に殺されているわけですが、この時代、「天下」とはどこを指していたでしょうか。
答えは、「畿内」です。
清康が生きていた時代に「天下を取る」と言えば、畿内を治めるという意味でした。
信長の印文で有名な「天下布武」は信長の誇大妄想です。詳細は、前掲『大間違いの織田信長』をどうぞ。
とにかく、信長の誇大妄想が始めた「天下」イメージを、大久保彦左衛門は、そんなイメージなどありえない、信長よりも前の時代、清康の時代に投影してくやしがっているだけです。戦国時代から江戸時代へといった具合に時代が劇的に変わってしまうと、前の時代がどんな時代だったかということなど、人間は簡単に忘れてしまうものです。