世にも恐ろしい「脚気」に苦しんだ江戸の人々を救った“ある野菜”
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」⑥お茶の水女子大学附属中学校
■「江戸わずらい」の脚気が流行した背景
脚気とはビタミンB1の不足によって起こる病気で、簡単に言うと字の如く
「腿(もも)など主に足が痺れ、やがて歩けなくなり、重病になると死に至る
」というものです。
江戸時代中期、元禄から享保にかけて江戸の町で広まるようになります。
そしてなぜか田舎に帰ると治るのです。
それゆえ「江戸の(町の)病」ということで、「江戸わずらい」と言いました(元禄は5代将軍・綱吉、享保は8代将軍・吉宗の時代を代表する年号ですので、なんとなくイメージしやすいかと思います。
元禄時代は浮世絵や料理など、庶民文化が開花した「元禄文化」に代表され
ます。
それまで文化・生活は大名など武家が主役でしたが、例えば食事は1日2食だったのが3食に増えるなど、経済的に豊かになっていった庶民が主役に交代した時代です。よって商人たちは更に豊かになっていったわけで、彼らのような裕福な町人(庶民)たちが芸術・経済・生活など文化の様々な面で、出資したり自ら提案して作らせるなどして、当時の最先端を牽引していきました。
そうなるとやがて、今度はその弊害や歪み(ひずみ)なども当然出てきます。
その代表的なものの1つがこの「脚気」と言えるでしょう。
なぜ元禄時代から広まるようになったのか? それ以前はどうだったのか?という疑問が沸きますが、その答えこそ、この「経済的に庶民が豊かになっていったこと」、つまり元禄時代そのものとも言えるものです。
どういうことかと言うと、先程書いたように「食生活が変化し、豊かになっていったから」なんですね~。
え? どこが脚気に関係あるのかって? 関係ありますよ。
十分あるのでご心配なく。
ここで先程の脚気の説明に戻ります。
脚気は「ビタミンB1不足による病」でしたね。
ということは、江戸時代前期まではビタミンB1は足りていたことになります。そして当時の病名は何でしたっけ?「江戸(の町の)患い」でしたね。
そうすると綱吉の時代以降、①江戸の町のみで不足するようになり②ビタミンB1が含まれている食べ物。この2つを満たすものがわかれば、それが病の原因ということになります。
さて、その原因はなんと「お米」です。
でもおかしいと思いませんか?
元禄時代は1日朝夕だけだった食事に昼食が加わるようになったので、お米の消費量は「増えた」のですから。
ではどんなお米なのでしょう?
ヒントは「お米はお米でも、その種類による」です。
お米でビタミンBが足りない種類で「江戸の町ならでは」のもの…
もう皆さんお分かりですね。そう、答えは「白米」です。