過去の栄光を偲ぶ美祢線の旅
幹線なのに普通列車のみ…ディーゼルカーで終点まで
中国山地を越えて山陽本線と山陰本線を結ぶ鉄道ルートは幾つもある。その中で特急列車が行きかっているのが伯備線であり、「SLやまぐち号」で有名な山口線にも特急列車が3往復走っている。伯備線は時刻表の地図を見ると黒い路線となっていて、これは幹線の意味だ。一方、山口線は青い路線で、こちらは地方交通線、つまりローカル線扱いである。
ところで、中国山地を越える路線を東から西へと見ていくと、一番西に山口県内を走る美祢線があり、何と黒い幹線扱いの路線だ。しかし、時刻表を見てみると、列車の本数は少なく、すべて普通列車のみだ。かつては、美祢駅付近の石灰石を宇部港まで輸送する貨物列車が頻繁に運転され、その本数は最盛期には1日30往復を越えたという。そのため、幹線に指定されていたのである。しかし、貨物列車は10年以上前までにすべて廃止され、現在は小ぶりなディーゼルカーが細々と走るのみの閑散路線となってしまった。最近、ようやく美祢線に乗る機会があったので、現状をレポートしたい。
山陽新幹線の停車駅でもある厚狭駅。新幹線乗り場とは反対側にある在来線口(北口)の改札目の前にある1番線から美祢線の長門市行き列車は発車する。キハ120形という中国地方の非電化ローカル線ではお馴染の車両が1両のみの列車だが、何とすべてロングシートだった。以前、芸備線や姫新線、因美線、それに廃止された三江線で乗ったときは、僅かながらクロスシートがあったのに、これから乗ろうとする美祢線のキハ120形の車内には、クロスシート席が皆無とはがっかりだ。
気を取り直して、最後尾近くに陣取った。万一満員で景色が見えなくなれば、席を立って後方展望を楽しめるからだ。こうしたワンマン列車の場合、運転席脇のドアは降車客で賑わうから、前面展望のためにスペースを占拠するのは気が引ける。後部のスペースのほうが落ちつけるのである。
午前10時過ぎに厚狭駅を出る長門市行きは、これを逃すと3時間以上も列車がないせいか、8割方席が埋まった状態でエンジンを唸らせながら動き出した。すぐに山陽本線と分かれ、左へ大きくカーブすると、右手に現われた厚狭川に沿って北へ向かう。あっという間に線路際の家並がなくなり、緑豊かな田園地帯を駆け抜ける。そのためだろうか、駅間が長く、5分以上もかかる。厚狭の次の湯ノ峠(ゆのとう)駅までに列車の行き違いのできるところがあったが、ホームはないので信号場だ。かつて貨物列車が頻繁に走っていた頃は、行き違いのため使われたことであろう。
湯ノ峠駅を過ぎ、しばらくして厚狭川を渡って、川の車窓は左手に移る。中々見ごたえのある景色でオールロングシートなのが惜しまれる。かつては、美祢線経由の急行「さんべ」が走っていて、グリーン車も連結されていた。そうした優等列車が再び走ることはないのだろうか?
知らないと読めない厚保(あつ)駅を過ぎ、厚狭川を2回程渡ると四郎ヶ原駅に停車する。5分も停車するので最前部に移動すると、予想通り厚狭行きの上り列車がやってきて、この駅ですれ違う。同じキハ120形ながら2両編成とは驚いた。この先の長門湯本を10時過ぎに発車しているから温泉帰りの客が多いのだろうか? 時刻表を見てみると、このあと終点の長門市駅まで列車の行き違いはない。貴重な列車交換だったのだ。
発車後、さらに厚狭川に沿って進み、次第に山中に分け入っていく。南大嶺駅からは、かつて大嶺駅へ向かう路線があって石炭輸送になくてはならないものだったが、炭鉱の閉山で使命を終え、1997年に廃止された。かつては貨車が停まっていたであろう側線は雑草に覆われて跡形もない。
- 1
- 2