【連載 奇談倶楽部 第6回】日本人気質によく合っている浮世絵…!?
奇談倶楽部第6回
前回は浮世絵に記された記号や絵柄などから、描かれた年代など色々な情報がわかるという話題をお伝えしましたが、今回も浮世絵のお話です。奥深い世界のほんの一部にはなりますがご紹介したいと思います。浮世絵は度々取り締まりを受け、認可の印が無いと発売できませんでした。なかでも「役者絵/歌舞伎絵」に関しては厳しい検閲が行われ、老中・水野忠邦が進めた天保の改革では贅沢な衣装の着用の禁止とともに芝居や遊女を描いた絵もNG。実際に江戸にあった芝居小屋の三座(中村座・市村座・森田座)が浅草の猿若町に移されます。このころ贅沢な生活をしていたとして市川海老蔵が見せしめのために江戸を追放になりました。天保の改革は結局成功しませんでしたが、その後もすぐに役者絵などの販売が再開されたのではなく、様子を見て摘発を逃れるために誕生したのが「シタ賣」という印を押す販売方法でした。通常つるして売ることが多かった浮世絵ですが、この印がある絵は目立たぬように平置きして売るようにという指示で、重ね売りの場合は特に下のほうへ重ね、人目につかない配置になっていました。これは嘉永3年から5年までの短い期間で使用された印ですが、ちょうどこの頃に追放になっていた市川海老蔵が江戸に戻って来ており彼を描いた絵には「シタ賣」印が押されたものが多くあります。
このころ取り締まりを受けて売り上げに打撃を受けた店と絵師が考案した新たな絵として見立絵・判じ絵・春画、がありました。見立絵は、文字通り何かに見立てる…たとえば歴史上の人物や出来事をその時代の人物に当てはめて描いたり、仏教的な故事をユーモアをまじえてわかりやすいように動物で表現したりなどです。判じ絵はさらに謎解きの色が濃い絵で、人物のしている動作から何の動物かを当てるなどのナゾナゾから社会風刺を滲ませたものまで多様でした。リアルな性を描いた春画は絵師たちの隠れたアルバイトでもあり、現代では芸術性も見直されています。遊びモノとしては双六絵もあり、当時の人々が楽しんだようすが目に浮かびます。またそれ以外にも遊び心に溢れた絵がたくさんありました。
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