ショパン 【歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第67回】
女好きだったか!? 恋愛に一途か? バカだったか? 賢かったか!?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第67回~ショパン~
③自分を強くを持っていて曲げないタイプだったか
ショパンは祖国・ポーランドに対して強い思い入れを持っていた。例えば、「ポロネーズ」はフランス語で「ポーランドの」を意味するが、古くはポーランドの農民や庶民階級の踊りであったものが士族階級に広まって洗練され、16世紀ころに宮廷舞曲にまで高まったものである。このようにショパンは祖国に関する音楽を生涯作曲し続けた。
1830年、ショパンはウィーンへの旅行中、「ポーランドで11月蜂起が勃発した」という知らせを受けた。この時祖国への強い郷愁を抱いたショパンだったが、家族に説得され、祖国・ポーランドに戻ることを諦める。その後彼はパリへ移り、「パリで最も著名な者の一人」として認めらた。生涯パリで生活することとなるが、祖国・ポーランドへの思いは非常に強かったようだ。フランスとポーランドの関係を思うと非常に難しい状況であったが、ショパンは死の直前、姉のルドヴィカに対し、遺体は母国に埋葬して欲しいと願う。遺体はパリに埋葬されるが、心臓は彼の願い通りに取り出され、アルコール漬けにされてガラスの瓶に入れられ、ワルシャワの聖十字架教会まで運び込まれた。今も聖十字架教会に彼の心臓が安置されている。
ちなみに、1944年8月のワルシャワ蜂起で、この聖十字架教会もドイツ軍との戦闘場所となった。教会に立てこもる蜂起軍にドイツ軍は砲撃を加えた。しかし、この時奇跡が起きた。ドイツ軍の中にショパンの音楽を愛する将校おり、一時休戦を申し入れてきたのだ。お蔭でショパンの心臓が入れられたツボは持ち出され、一時ワルシャワ郊外へ運び出された。そのため、事なきを得て、現在も聖十字架教会に心臓が安置されている。
ショパンの祖国・ポーランドへの強いこだわりを見ると、一匹狼で我が道を行くという強い思いを持っていたと考えられる。
➤こだわりの強さは、「比肩」に由来すると考えられ、2月22日説が有力と言える。
④真面目だったかどうか。
ショパンはこまめに日記を残している。また、恋人や友達に対しても細かいところまで気遣い手紙を送っている。非常にまめ、つまり真面目な人物だった可能性がある。
また、両親の影響もあるのだろう。7歳の天才児として注目を浴びたショパンには様々な出演依頼が舞い込んだが、父・ミコワイは、ギャラなしの慈善演奏会にしか息子を出演させなかった。父はフランス語教師と知的な人物であった。教師としての名声が高まるにつれて、ワルシャワの文化人、学者、教育者、芸術家たちが家に集まるようになっていたと言われ、ショパン家の客間はサロンのようになっていたことが予想される。
両親が幅広い分野の教養を身に付けていたということを踏まえると、モーツァルトやベートーベンとはずいぶん違う家庭環境にあったと考えられる。彼はもともと真面目だったのか、家庭環境が彼を真面目にさせたのかはわからないが、いずれにせよ、真面目であったことは確かなようだ。
➤真面目さから見ると、3月1日説が有力と言える。
⑤何を目標に生活していたか
ショパンは、同時代の作曲家であり音楽家であるリストと比較されることが多い。高い音楽性を持ちながら両者は異なる点が多い。例えば、リストが肉食系だとすると、ショパンは草食系に例えられる。リストは常に称賛を求め、大ホールに大勢の客を集めてワーキャーされるのが好きなのに対し、ショパンが残した曲は少人数のファンを集めたサロン風のものが多く、生涯に残した曲の91%がピアノ曲。ショパンは自分の作りたい曲を作り続けたのだろう。また、リストは浪費家で女性関係が激しかったのに対し、ショパンは堅実で女性に対して一図だった。
リストと比較してみると、リストは今世に執着し今世での成功を望んでいたのに対し、ショパンはあまり今世にこだわりがなかったと言えるかもしれない。前世や来世の自分にイメージを馳せていた可能性が高い。
➤ショパンは今世にはあまり執着をせず、前世、来世に目を向けていた可能性があり、この点で、3月1日説が有力と言える。
以上、ショパンの生年月日について、2月22日か3月1日かを検証してきたが、全体を総合して考えると、3月1日が有力だということが明らかになった。つまり、女性に対して一図で、頭がよく、今世にこだわらずに生きたいたということだ。
しかし、一見、ショパンには2月22日生まれの要素も見て取れる。例えば、ショパンは見栄っ張りで見た目に気を遣い、自家用馬車を持っていたという。しかし、本来ショパンは真面目な性格。それを隠すように行動していたと考えていたらどうだろう。自分の真面目で責任感の強い、ある種面倒くさい部分をあえて隠そうとしていたと考えると、その行動は理に適う。
余談であるが、つい先日ポーランドに行ってきた。私の勝手なるイメージであるが、ポーランド人は日本人の気質に近いと感じた。ポーランド人はこれまで不遇な立場でありながらも他国に対して批判することなく、自国に対して愛着と誇りをを持っている。今回は、ワルシャワとクラクフを訪れたが、各所にショパンの曲が響き、ポーランド人全てがショパンを誇りに感じていたそう考えると、ショパンの生年月日等、もはやどちらでもいいのかもしれない。しかし、。ショパン自身が自由を手にし、来世を恙なく過ごすことができたらこれほどうれしいことはない。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
【参考文献】
「決定版 ショパンの生涯」バルバラ・スモレンスカ・ジェリンスカ 音楽之友 (2001)
「ショパン 愛と追憶のポーランド」アルベルト・グルジンスキ アントニ・グルジンスキ ショパン (2006)
「ショパン その生涯」青澤唯夫 芸術現代社(2010)
「ショパンを」
「ショパンをめぐる女性たち」荻谷由喜子 ショパン (2010)
【Special Thanks】
總水とおま様
高雄敦子様