ゴージャスドレスに見る太ももの正しい使い方
【第9回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■露出度が高いマリーさんの太ももはお値段もお高め
そして弩級のゴールドのドレスがマリー・マクドナルドの「"the Body"Sings!」。このジャケを初めて見たときはかなり衝撃だった。こんな太ももを露わにして! これはエロ過ぎはしなかったのか? と。
この連載で何回も書いているが、50年代は最もモラルに厳しく、検閲も厳しかった時代だ。ちょっとでも乳首など見えたらなんでもすぐに回収されたが、太ももは見せてもよかった。太もものほうがエロく思えるのだが……
そんな時代背景はともかくも、この太ももに顔を埋めたくてずいぶん妄想した。だが、マリーさんはとても高かった!
国内再発盤ではなく、USオリジナル盤だとなんと18,000円前後が相場だった。20年ほど前の話。でも、このゴールドのゴージャスなドレスと蓮っ葉なミュールと太ももの魅力には抗えない。
しかもモデルは歌っているご本人。買えない身なのでマリー・マクドナルドについて一生懸命、調べた。彼女はその肢体の魅力から「ボディ」というあだ名が付けられ、雑誌のグラビアを飾ったことも。このレコードのタイトルが「ボディが歌う」となっているのもそのあだ名からきていること。
等々、調べるといやがうえでも欲しくなる。もう、これは性的な渇望に近い。そして相場よりはずっと安い……といっても1万円は超えるお金を払ってこれを入手した。
いや、一晩中、ジャケを眺めて感動してました。おまけにマリーの歌はかなり良い。こういう完璧なレコードがあるものだと思った次第。
ちなみにジャズ・レコード・コレクターには数万のお金を一枚のレコードに当たり前のように注ぎ込む人がいるが、たかがビニールの板にそんなに支払うのがどうにも理解できないので、筆者が購入した全レコードの最高価格がこのレコードだ。
マリーさんのレコードは長く壁に飾った。レコードをいちいち出して聴くのが怖く、デジタル化してCD-ROMに焼いて聴いた。ああ、レコードに恋するとはこういうものなのだ!
ちなみにマリーさんの顔やこの笑顔はまったく好みではない。もっぱらこの衣裳、このポーズ、この太もも、そして質の高いヴォーカルに魅了されたということ。
付け加えておくと太ももが見えれば良いというものでもない。ロングのドレスの裾がたくし上げられ、あるいはスリットから立ち現れる太ももだけが特別に良いのだ。隠されていなければならない、あるいは着ている本人が最終的な武器としているような太もも、それこそが魅力で、それは着衣という前提があってこそのものだろう。
マリー・マクドナルドで思わず熱気を帯びてしまったが、女のフェティッシュな武器はドレスにとどまらない。ゴードン・ジェンキンズの「Monte Proser's Tropicana Holiday」は楽屋の踊り子たちのスナップ写真ジャケ。カメラのアングルも踊り子の仕草も良いし、この手の楽屋ものジャケのなかでは最高に洗練された一枚だ。
そして彼女たちはゴールドのドレスだけでなく、白のグローブ(長手袋)をしている。
手袋フェチでもあるので、長手袋はなぜエロティックな作用をもたらすかについては拙著『パスト・フューチュラマ~二〇世紀モダーン・エイジの欲望とかたち』で、詳細に分析したので、同好の士はそちらをどうぞ。
身体をぴったりと包んだドレスに露わな肩や胸元、そこに加わる長手袋。ようするに露出しながら隠蔽もしていく、これがエロティシズムの高等技法なのだ。
ともあれ、このジャケでは黒髪をメインに、隣に金髪モデルを配し、鏡の後方には数人の踊り子と、楽屋の熱気がよく伝わってくる。女たちのむせかえるよう匂いも。ああ、肉食系とはこういう世界のことなのだ!
と、今回はあまり脈絡なくドレスのことを書いてきたが、おそらく着衣に興味ない人になにを面白がって、妄想したり欲情したりしているのか、理解しづらかったかもしれない。
着衣好きはみな、裸になる前の「じらし」としての着衣が好きなのではないだろうか? 最後はやっぱり脱いだ姿も見たいのだ。となると”ボールド”ビル・ヘーガンの「MUSIC TO STRIP」に行き着く。
ドレスを脱いでジャケのフレームから退場するストリッパー。いや、裸の彼女はどうでもいいか……床に残されたドレスのほうに執着を持って、そこに存在しない理想の女を妄想するのが着衣派だ。
さあ、このドレスを持って帰ろう。フェティシズムとは、まさに業病なのである。