「妻のそばにいることしかできない!」難病「魚鱗癬」の息子誕生で誓い合った夫婦の絆と母の愛情
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(8)
◆幼い頃は泣かない妻、泣き虫の夫
出産から数日。妻は相変わらずの状態だった。術後のため、まだ歩けず、身体の痛みと「魚鱗癬」を患う息子への思いで毎晩苦しんでいる。
妻は昔から、人前で絶対に泣かない人間だったという。色々と辛い過去を持つ妻。幼い頃、悲しくなるといつも、誰もいない所で涙したらしい。
逆に私は幼い頃、臆病で泣き虫だった。人前でめそめそしてばかりのどうしようもなく、みっともない子。
そんな自分が、今は泣いている妻を励ましている。でも、そばにいることしかえきず、何もしてやれないのが辛かった。何か力になれないか……。
さらに数日後。まだ歩けないものの、妻の体調は回復しつつあった。
「病院の敷地内なら外出しても良い」と医師から許可が出たため、私は妻に外へ出ることを提案した。
「中におると、気分が沈むよ。こんなにいい天気なんやから。外の空気吸って、気分転換しよう!」
妻の車椅子を押しながら、私は病院の庭へ向かった。
妻にとって久々の外。静かな庭の中を、ふたりで会話しながら歩く。
どうでもいいような話をしていたが、やはり最終的に息子の話になった。
息子の病気は通常、産まれて数日で死に至るということもある病気。
だが今は医学が進み、生存率は上がっている。
命は助かる。命「は」……。
その後はどうなる? この病気は完治しない。皮膚が薄いため、感染症にかかりやすく、最悪、死に至る場合もあるらしい。見た目の損傷も激しく、障害のある部分が多い。日常生活は苦労が多く、
また、その見た目から迫害を受けることもあるかもしれない。
どんな辛いことがあっても「生きてこそ」という言葉があるが、この子はそれを望むだろうか?
病院の先生方は今も精一杯、処置をしてくださっている。とても感謝している。だが退院の先、何も見えない。あの子にとって幸せは生きることか、それとも……。
妻は泣いていた。私も泣いていた。こんな明るい空の下で、庭でふたりして、うずくまって、声を殺して泣いていた。妻を元気付けるはずなのに。
あれから数日、自分の中で色々な思いを整理し、私は冷静になっていった。もう何があっても驚くことは無い。泣くことも、しない。息子は病院に任せ、私は妻を励ます。だが、息子を思う「母親」の気持ちは計り知れない。父として、夫として何が出来るか。
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KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。