朝ドラ『スカーレット』が不倫よりも描きたかったもの
共依存やスキンシップを好むドラマ
実際のところ、こういう家族は少なくないのだろう。ただ、このドラマはそれを手放しで絶賛するわけではなく、常治が死んだときには直子にこんな台詞を言わせている。
「うちな、お父ちゃん、亡くなったこと、ほんまに悲しいで。(略)ほやけど、それとは別にな。これまで、お父ちゃんにああしろこうしろ、言われてきた。それがこれから先もう、なんも言われんで済む。(略)自由や、うちは自由を手に入れたんや」
とはいえ、そんな直子が今度は亡父の抜けた穴を埋めるように、前出の騒ぎを巻き起こすのだ。共依存的家族の遺伝子おそるべしというか、八郎が去っていったのもじつは、この家族システムに適応できなかったからではないかと思ってしまうほどである。
そんな「スカーレット」は友人関係も独特だ。ヒロインには照子と信作という幼馴染みがいて、一緒に柔道を習った子供の頃ならいざ知らず、大人になってもスキンシップをやめない。4児の母となった照子と独身の信作が柔道をしたり(さすがに組み合う場面は描かれなかったが)結婚を決めたという信作とヒロイン、照子がお泊まり会をしたり(信作は隣の部屋で寝たが、ふすまは開けっ放しだった)。お泊まり会の回では「男と女」ではなく「腐れ縁」だからという説明的やりとりも加えられていた。
また、最近では元女優のアンリという新キャラが登場。ヒロインとのあいだに、女同士の友情が芽生え始める。その矢先、突然いなくなり、心配したヒロインは再会時に怒鳴りながらアンリを抱擁(第114話)。という、いかにもな展開が見られた。
とまあ、このドラマが何より描きたいのは、こうした共依存的な家族愛だったり、スキンシップ精神あふれる腐れ縁の心地よさだったりするのではないか。そんな本質が最も象徴的に示されたのが、常治の手ぬぐいをめぐるエピソード(第14話)だ。
中学を出て大阪で女中奉公を始めるヒロインのため、送られてきた荷物のなかに、父の手ぬぐいが洗わずに入れてあり、そこには「くそうて腹立つさかい、負けるもんかと思うはずや」という励ましがこめられていた、というもの。それをかいでみて「くさい」と言いながらうれし泣きするヒロインの姿に、自分などはちょっと引いてしまったが、感動した人もいたことだろう。
なお、もうおわかりの人もいるだろうが、筆者はこうした共依存やスキンシップが好きではなく、たとえフィクションでもあまり見たくないほうだ。それでも、このドラマを毎回視聴しているのは、それ以外の魅力に惹かれるからである。大阪パートについては、登場人物たちがわりと自己責任で動いている感じで風通しがよかったし、信楽パートでも、三女の百合子は依存体質ではなく淡々としているので癒される。
さて、話を不倫に戻すと「スカーレット」がそれを寸止めにしたのはやはり正解だった。共依存やスキンシップを好むドラマが本格的な不倫を描いたら、朝ドラのファンには到底受け入れがたいものになるはずだからだ。
というわけで、このドラマはいろいろ、バランスをうまくとっている。地味ながら安定していて、朝ドラらしい朝ドラだ。その分「スカーレット」というタイトルからイメージされる、燃えさかるような華には欠けるきらいもあるが。残りのひと月半でどうバランスをとるのか、しっかりと見届けたい。
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『痩せ姫 生きづらさの果てに』
エフ=宝泉薫 (著)
女性が「細さ」にこだわる本当の理由とは?
人類の進化のスピードより、ずっと速く進んでしまう時代に命がけで追いすがる「未来のイヴ」たちの記憶
————中野信子(脳科学者・医学博士)推薦
瘦せることがすべて、そんな生き方もあっていい。居場所なき少数派のためのサンクチュアリがここにある。
健康至上主義的現代の奇書にして、食と性が大混乱をきたした新たな時代のバイブル。
摂食障害。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出したりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。しかし、こんな見方もできます。
瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
(「まえがき」より)