「病気を知ってくれるだけでいい」。難病「魚鱗癬」患者の会は我が子の苦しみと向き合った母と家族の愛情から誕生した
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(11)
◆あそこの家は子どもを虐待しているんじゃないか
カラカラに乾いた皮膚を保湿するために、クリームを毎日数十分かけて全身に塗り、その上から包帯をグルグル巻いて、皮膚を守らなければなりません。包帯を取り替えるとき、やけどした皮膚からガーゼを剥(は)がすようなもので、当然のことですが、遼さんは苦痛から「やめて、お願いだからやめて!」などと大声で泣き叫びました。
これが毎日ですから、となり近所は「あそこの家は子どもを虐待しているんじゃないか」と怪しみます。噂がたちかねないので、一軒一軒に説明をして回りました。
遼さんは同じ「魚鱗癬」でも、皮膚にちょっとした負荷がかかると、そこに水疱(すいほう)ができるタイプの疾患です。そのため這い這いもできず、伝い歩きができるようになってからも、ごく短時間しかできませんでした。
車に遼さんを乗せるにしても、シートベルトをつけることができません。当時はシートベルト着用がうるさくなり、違反すると反則金を取られることが日常茶飯事になっていました。心配になって、交通取り締まりの警察官に事情を話すと、警察官はすかさず言ったそうです。
「いや、大丈夫! 包帯グルグル巻のこの子を見たら、どの警察官も違反だとは言いませんから……」
遼さんが幼稚園へ入るときは、いくつかの園から断られました。
「怪我をさせたり、処置を誤って命の危険を生じさせたりするリスクがあるので、とても入園を受けられない」というのです。当然といえば当然の対応といえるかもしれません。
そんななか、ある園でこう言われたのです。「お母さんはこれまでいろんな苦労を背負ってきました。これからはそれの何分の一かを私たちが担いますので、いっしょに頑張っていきましょう」と。
この園長の言葉に、千鶴さんは「ありがたくて、ありがたくて涙がでました」と振り返ります。
この話には後日談もあります。何年後かに千鶴さんは園長と再会することができたのですが、
園長は「正直なところ、あの時、受けいれて良かったのかどうか、あとで私自身もずいぶんと悩みました」と語っていたそうです。
梅本千鶴さん
1998年に患者家族3名で患者の会を発足。
2008年には日本テレビ系の「24時間テレビ31『愛は地球を救う』」に息子の遼さんと共に出演し、反響を呼ぶ。
2005年4月に「小児慢性特定疾患」認定、
2015年5月に「指定難病」認定に尽力。
患者の福祉活動に貢献するほか、講演会にも積極的に出演。
宮崎大学医学部 看護学科 非常勤講師も勤める。
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KEYWORDS:
【魚鱗癬についての患者・家族会】
魚鱗癬の会 ひまわり
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。