悲劇でなく奇跡! 難病「魚鱗癬」を患う我が子と若き母が向き合ったとき自然に「会いたい!」と母の愛情が溢れてきた
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(13)
◆「会いたい!」当たり前のことが人生を変える
退院の日の朝。大丈夫、前夜の気持ちは保てている。
よし、陽に会いにいこう。
私はナースコールのボタンを押し、「面会に行きたいのですが」と、初めて自ら面会を申し込んだ。
やっと自分から陽に会いに行こうと思い、行動することができた。
先生たちも驚き、そして喜んでくれた。
我が子に会いたい、なんて、当たり前のことなのに。その当たり前が、人生を左右するかのように思える。
まだ感染を防ぐため、陽に触れることはできず、そしていざ陽の前に立つとまた言葉が詰まる。
陽、母ちゃんは先に家に帰るね。
まだ言葉で伝えることはできず、心の中で陽に言った。
一番、母である私の声を届けなければならないのに、本当にヘタレで弱くて情けない母親だ。かろうじて掛けられた言葉は、昨日と同じ、
「・・・よう(陽)」だけだった。
頭ではわかってる。
母親である私がしっかりしなければならないと、わかってる。
わかってる。
頭ではわかってるけど、私の心、全身、細胞ひとつひとつにわからせるには、長く時間がかかりそう。
病室に戻り、荷物をまとめていると、私の母が迎えに来てくれた。
私の母は芯の強い人。そして、少し天然で、方向音痴で、可愛い人。
私は私の母のような、母になりたい。
退院手続きを終え、さぁ帰ろうとエレベーターに乗り込むと、親子で退院の方がいた。そのお母さんの腕には、赤ちゃんが気持ち良さそうに眠っていた。
可愛い天使の寝顔。
陽はいつ退院できるかな。
陽に触れることができるのはいつかな。
陽を抱っこできるのはいつかな。
退院の時点で、まだ我が子に一度も触れていない。
抱き締めることはできるのかな。
・・・でも今、弱気な顔をしてはいけない。私の母も一緒にエレベーターの中にいて、私の気持ちを察して伺っている。
平気でいないと。
私の母のためにも、陽のためにも、そして自分のためにも・・・。
エレベーターから降りて、「赤ちゃんの寝顔はやっぱり可愛いねぇ」と言って、込み上げてくる想いを蹴飛ばした。
でもきっとこんな強がりも、私の母にはバレているのかな、なんて思いながら病院をあとにした。
そしてこの日から、毎日の搾乳(さくにゅう)と、陽に会いに行く日々が始まった。(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より)
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KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。