産後1カ月、指先から感じる我が子と若き母、父の愛情。皮膚の難病「魚鱗癬」の息子との宝物となる1枚の写真
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(16)
◆友人からの喝(かつ)
母乳を絞り、病院に届け、陽に会い、写真を撮る。
そんな日々が続き、陽が産まれて1か月を迎える直前、いつも通り陽に会いにいき、
陽を見て驚いた。
オムツ・・・。
オムツをちゃんと履いている。
脚を通して履いている。
今までは、ただお尻に敷いてあっただけのオムツ。
それが、ちゃんとオムツとして使われている。
オムツのテープも、ちゃんと止めてある。
嬉しくて、嬉しくて、何枚も何枚も写真を撮った。
オムツが履けただけで、とてつもなく幸せを感じた。
「陽、オムツはけたね、えらいね」
そう、この頃には、私も陽に声をかけられるようになっていた。
そしてこの日の夜、友達に、1か月早く出産したこと。
陽のことをやっと伝えることができた。
私の報告を聞き、
「どうせ強がってるんちゃう? 私らの前でくらい泣いたらいいやん!」と言って一緒に泣いてくれた友達。
「大丈夫やろ! そんな心配しやんとくわ!! 退院したら遊びに行くでなぁ〜!!」と、いつもと変わらず明るく接してくれた友達。
「母親になったんやから頑張らな! 子どもにとっては母親が何よりも必要! 母親からの愛情に敵(かな)うものはないんやでな!!」と言って喝(かつ)を入れてくれた友達。
みんなの言葉に救われた。
なかなかすぐに報告できずにいた自分が、情けなく感じた。
そして次の日は私の1か月検診。
何事もなければ、自分で車を運転して病院まで来れる。1時間に1本のバスとはおさらばできる。
そう想いながら眠りについた。
いつしか布団(ふとん)に入っても、泣かずに寝られるようにもなっていた。
■指先から感じる我が子
あぁ、なんか懐かしいな。
産婦人科の診察室、診察の椅子に座って、ウィーンと動く振動。初めての妊娠で、この振動ですら赤ちゃんに良くないのでは、と考えていた日を思い出した。診察が終わると、
「うん、問題ないね〜。傷口もいい感じ。母はすこぶる良い感じやのにね〜」
先生からのその言葉に、「う〜ん・・・なんか引っ掛かるなぁ」と思いながらもお礼をし、陽の病棟に向かった。
この日で陽が産まれて1か月、
長く短い1か月、
一生分泣いた1か月、
少しだけ強くなれた1か月。
「陽、おめでとう」
そしてこの日、初めて陽に触れても良いと許可がでた。
触るのがこわくて、恐る恐る手を伸ばした。
滅菌手袋越しに触る息子は、全身、薬でベタベタしていた。
あたたかい。
生きてるんだ。
陽、頑張っているんだね。
陽に触れることができ、嬉しくてたまらない。
しかし、その気持ちと同じくらい、切なくてたまらない。
陽に触れて体温を感じ、抱っこしたい、抱きしめたい、という思いがさらに強くなったからだ。
涙は出なかった。
泣く余裕なんてなかった。
ただ、ひたすら優しく陽に触れて、手の平から、指先から、陽の存在を思い切り感じ取っていた。
我が子の温もりに浸っていた。
手袋越しに陽に触れ、写真を撮る。
話しかける。
まだこれだけのことしかできないけれど、それだけでもすごい進歩だと思えた。
そして陽が産まれて1ヶ月半経った頃、休日に夫と一緒に陽に会いに行き、
そのときに撮った写真は、私達の一生の宝ものになった。
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KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。