新型コロナウイルス危機があらわにした日本人の「子ども嫌悪」
大人と子どもの家庭空間での共存ノウハウはまだまだ十分には蓄積されていない
■臨時一斉休校ショック
先月2月27日に安倍首相は、新型コロナウイルス危機対策として、全国の小中学校と高校、特別支援学校に3月2日から春休み開始日までの臨時休校を要請した。
実際に休校するかどうかは学校や自治体の判断に任せたにしても、この異例の要請でTwitterやFacebookなどのSNSは大騒ぎであった。学校の休校により子どもが自宅にいても、親は仕事があるのだからケアできないのに、どうするのかという投稿が多かった。
子どもが家庭に閉じ込められると、親の虐待やネグレクトにさらされやすくなるという意見もあった。学校給食だけが摂取できるまともな食事という環境の子どもたちもいるという意見もあった。
子どもを持つ保護者は、就労中に子どもをケアする人を確保できない場合は休業せざるをえないので所得が減る。だから、政府は表明した。正規雇用者か非正規雇用者の区別なく、保護者の休業による所得減少を補償する助成金制度の創設を。従業員を休業させた企業には、雇用調整助成金による支援を実施することも決定した。
■現代日本の小学校は「デイケアセンター」である
今回の騒ぎで明らかになったのは、現代日本の学校が、いかに「デイケアセンター」になっているかということだ。丸投げとまではいかずとも、子どもの養育労働のかなりを学校が担うはめになっている実態が改めて明らかになった。
小学校において子どもは、日本国の小国民が習得すべき基礎知識を学ぶだけではない。学校の集団生活を通じて他人とのコミュニケーションの訓練も受ける。世間というものの「ひな型」を実地観察することもできる。複数の人間が共にいる空間には、競争も嫉妬反目も生まれるし、派閥争いもあるし、いじめも村八分もあるが、協力や相互扶助もあると学ぶ。
子どもは、小学校の行事や活動(運動会、文化祭、遠足、修学旅行、クラブ活動、合唱コンクール、書道大会、絵画展覧会など)を通じて、単に食べて眠ること以外に、多彩なこと(文化)が世界にはあると知る。
小学校で、子どもは、知らない言葉や漢字に出会ったら、「国語辞典」や「漢和辞典」で調べればいいと学ぶ。図書室に行けば無料で本がいくらでも読めると知る。J-POPしか聴かない親の元に生まれても、バッハもモーツアルトもチャイコフスキーもハチャトリアンも聴くことができる。
さらに、給食の時間に食事の最低限のマナーを学ぶ。親が怠慢でも、子どもは歯科検診や放課後の掃除当番により、歯磨きの重要性やモップの使い方を学ぶ。
いつのまにか、日本の大方の親は、子どもの養育は学校の役割と勘違いしてしまっていたようだ。無自覚に、なんでもかんでも、学校に依存するようになってしまっていたようだ。だからこその臨時一斉休校ショックだった。
これでは、小学校の先生が大変なはずだ。大学の教育学部では、「子どもデイケアセンター」の長時間労働の看護師や介護士になる訓練をしているわけではないので、現場に来たら驚くばかりだ。小学校教諭志望者が減っているのも当然だ。