白くて赤い皮膚に若き母が「道化師のよう…」と絶句。難病「道化師様魚鱗癬」の息子と向き合った母の覚悟
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(15)
◆その名の通り「道化師」のような皮膚
カーテンをくぐると、陽(我が子)はオムツを替えてもらっていた。
看護師さんの優しい言葉がけ、心地のよい少し高くて可愛い声。
オムツを替えるといっても、ちゃんとオムツは履けず、敷いてあるだけのオムツ。
白く分厚い皮膚、真っ赤でジュクジュクした皮膚、
この二種類の皮膚が模様になり、
それはまさに、道化師。
ピエロの着ている服のようだった。
この病名を名付けた方は、この見た目で決めたんだ。
初めて病名を聞いたとき、なんてふざけた病名だろうかと耳を疑ったけれど、
今の陽は紛れもなく、その名の通りの姿だった。
オムツを替えている間、陽はか細い声で泣いていた。
ゆっくりと腕を動かして、何かに抵抗しているかのように。
赤ちゃんが泣くことなんて普通で、泣くことが仕事、と聞いたこともある。
しかし私は陽が泣くと、痛くて、辛くて、苦しくてもがいている、としか思えなかった。
陽にまだ触れることも禁止されていて、ただ傍で見つめていると、近くで赤ちゃんに面会にきた夫婦の声が、カーテン越しに聞こえる。
「ちっちゃい手やなぁ〜」
「足もちんちくりん」
「あっほら! 手握ったで!」
「写真撮って!!」
「やばい ちょーいい写真撮れた!」
NICU(新生児特定集中治療室)へのデジカメの持ち込みは、許可されていた。
写真・・・。
1か月の早産で、出産する前からNICUにお世話になると分かっていたため、デジカメはすでに用意してあった。
今の陽を撮る? この姿を撮る? 私には無理だ……。
すぐ近くでは愛しい我が子の様子を、何枚もカメラに収めている。
きっとその写真はアルバムに挟まれて、
この先も、産まれてすぐの写真として大切に保管されていくのだろう。
羨ましいな。心からそう思った。
でもね、陽、私はあなたが産まれてきてすぐの姿を、きっと忘れることはないよ。
忘れることなんて、できないよ・・・。
何日か母乳を届ける日は続き、陽が産まれてちょうど2週間。
この日は、夫とともに陽に会いにきた。
夫と話し合い、陽の写真を撮ろうと、手にデジカメを握りしめて。
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KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。