「今の人たちは食に対して贅沢になりすぎている」 土光敏夫が教える清貧の思想
【連載】「あの名言の裏側」 第2回 土光敏夫編(2/4)“メザシの土光さん”の真相
「メザシの土光さん」と
呼ばれるようになった。
別に、こちらは好きな物を
食っているのだから騒がれる
こともないと思うのだが、
たしかに今の人たちは食に
対して贅沢になりすぎている
──土光敏夫
土光敏夫氏の数々のエピソードのなかでも、とくに有名なものがあります。「メザシの土光さん」の逸話です。“質素倹約の人”としての土光氏の横顔を広く一般に知らしめ、イメージを確たるものにした、伝説的なエピソードといえるでしょう。
1972年(昭和47年)、東芝の会長職を退いた土光氏でしたが、1974年(昭和49年)、日本経済団体連合会(経団連)の第4代会長に就任。名実ともに、財界のトップに立つことになります。本音としては、東芝の会長を辞した後、細君とブラジルに移住して、のんびりと畑を耕しながら余生を過ごす……というプランを思い描いていたそうなのですが、土光氏の辣腕にすがりたい周囲の人々はそれを許しませんでした。2期6年に渡る経団連会長時代に、土光氏はオイルショックにあえぐ日本経済の正常化に尽力したほか、企業の政治献金問題などシビアな課題にも精力的に斬り込んでいきました。
そして1980年(昭和55年)の5月、経団連の会長職を離れてようやく落ち着いた日々が訪れる……かと思いきや、土光氏に新たな重職を担ってもらうべく、白羽の矢が立つのです。1981年(昭和56年)、土光氏は「老骨に鞭を打って、お国のため、最後のご奉公」と、第二次臨時行政調査会の会長に就任します。齢80を迎えていました。
「土光臨調」という別名でも知られる第二次臨時行政調査会は、当時の鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」の実現を目指して、行政・財政改革に関する審議を行った調査会でした。