Scene.36 本屋に集うのは素敵なひとびと!
高円寺文庫センター物語㊱
本屋の面白さは、本を介した人との出逢いに尽きる。
それに気がついた時、本部とかの事務職でもなく老いても生涯一店頭書店員でいたいと、心底思った。それに、本が好きな方々との会話はエンドレスに好奇心を刺激されて止むことがない。
本など読んでいなくても、身の回りには存在そのものが本のような方々は散見できる。しかし、時空を超えた世界を眼前に展開させてくれるのは、やはり本。
忘れないな。試験勉強中にラジオから流れてきた、有隣堂書店のCM。『一冊の本があれば、地球の裏側へ旅することもできる』
比喩だよ。それは宇宙の彼方へも、エベレストの山頂でも、マリアナ海溝の深海でもいい。ニューヨーク・ブロードウェイの喧騒から、風の音だけのモンゴルの草原でもいんじゃない。
文字だけで想像力を飛翔させるのは、本の魅力だよね。
ただ、本は絶対じゃないんだ。匂いが伝わってこない・・・・太宰治が、伊豆の山中を抜けて三島に辿り着いたときに感じた香りは。
サン=テグジュペリが、郵便飛行の中継地モロッコで踏みしめたアフリカの砂漠はどんな香りであったのだろう。
いにしえの人たちの軌跡は知らない。ただ、いまこの時に出逢った方々は本が繋いでくれた絆であった。
世間に名を成したからといって、驕ることなく普段の表情を見せてくれた方々。文庫センターの常連さんとして真っ先に、森本レオさん。大槻ケンヂさん。水道橋博士さん。根本敬さん。村上隆さんと、枚挙に暇がない。
イベントでは、みうらじゅんさんに始まってリリー・フランキーさん。井上三太さん。中川五郎さんに高田渡さん。中島らもさん。杉作J太郎さん。忌野清志郎さんと仲井戸CHABO麗市さん。山本直樹さんに遠藤ミチロウさんと書ききれないほどの、綺羅星のごとく輝く方々にご縁をいただいた。
メディアでしか触れることの出来ない存在を、ボクらが企画したイベントに呼んで輝いた瞳のお客さんたちから十二分の満足感をいただいた。
本屋はね。最高なんだ!
Scene.36 本屋に集うのは素敵なひとびと!
「あら、わたしマズい時に来ちゃいました?」
「シャキさん、いま『アド街ック天国』の取材だけど、店長はテレビ慣れしてるし大丈夫ですよ」
「店長は単なる目立ちたがり屋じゃなくて、しっかり計算しているでしょ?!」
「でも、こないだのデジタル・ニッポン放送の取材の後で落ち込んでいましたよ。
お店の広告塔を思いっきり演じたら、一挙にテンションダウンするんですって」
「シャキさん。
来週、来てくださいよ。私たちで、またフリーマーケットを店の前でやりますから」
「沢田さん。わたしも出せるモノがあるか、探してみるね」
「終わった、終わった!
あれ、シャキ来てたの。取材、見てた? 高円寺阿波踊りの直前に放映なんだって、テレビ局もタイトな仕事してんな!
ランチもまだなんだよ。腹減ったから、4丁目カフェ付き合えや」
「店長が話していた、イタリア映画の『カビリアの夜』観ましたよ。
続けて、何本か観たけどイタリア映画もいいですね」
「だろ!
イタリア映画って絶望の中、ラストシーンで主人公が希望を見出すのがいいんだよな。おなじ敗戦国として邦画のように戦後間もなく、多くの名作を産み出したしさ。ハリウッドが内省始めたなんて、ベトナムで負けてやっとじゃないの!」
「ですね。
戦争には徹底的に負けたことを、イタリアと日本の映画人は受け止めましたよね。それが敗戦直後に、数多の名作を作り上げたと思います」
「その点、ドイツは徹底的に破壊されて映画人が起ちあがりようがなかったもんな。ナチ勃興以前のドイツ映画界って、先鋭的だったんだけどな」
「ナチの迫害を逃れて国外脱出でアメリカへ、映画人が流出したんでしょう?!」
「なのよ!
G・W・パプスト監督の『三文オペラ』に代表される名画を作っていたのにさ。戦後の名作と言われる『08/15。戦線の08/15。最後の08/15。三部作』は、戦後も10年経ってからだもん。
ナチ=権力に迎合しない映画。いや本でさえ「ナチの焚書事件」のように、大学や図書館に書店からも本を奪って焼き払ったんだぜ!
その時に、ハインリヒ・ハイネは『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる』と、警告を残したんだけどな」
「出版と言論の自由は、許しがたい圧殺を乗り越えて勝ち取られてきたんですね」
「そうなんだよ。
差別を助長し、いたずらに偏見を煽るような出版物は『出版の自由』の対象外だと思うけどね!」