そもそも人を教育するとはどういうことか?【中野剛志×適菜収×小池淳司〈第1回〉】
神戸大学工学部100周年記念学内シンポジウム鼎談《第1回》【中野剛志×適菜収×小池淳司(神戸大学工学部長)】
■ドストエフスキーやカフカ、哲学書を速読するバカはいない
適菜:私のFacebookの友人に関西学院大学の先生がいて、ある学生のツイートを紹介していました。その学生は、新型コロナがパンデミックになってリモートで大学の授業を受けていた。彼はリモートの授業をいつも2倍速で聞いていた。そして、コロナが少し収まってきて、大学に行くようになったら、大学の先生の授業がゆっくりすぎてかったるいと。その関西学院大学の先生は「へえ」みたいな感じでFacebookで取り上げていたんですが、今度は別の大学の先生が「僕のリモートの授業では、倍速で聞くことができないように設定しておきました」みたいなリプを返していた。この問題をどう考えたらいいのか。もし授業を単なる情報の伝達と考えるなら2倍速だろうが、3倍速だろうが変わらないという話になります。むしろ2倍速で聞いたほうが効率はいい。そう考えると「2倍速でリモートの授業を聞いてはダメ」というのは単なる意地悪のようにも思えます。しかし、情報と同時に伝わっているものがあると考えるなら、2倍速とか3倍速で聞くのは論外ということになります。たとえばそれは息づかいであったり、間とか、タイミングとか、最終的には時間の問題が関わってくると思います。姿勢とか、形のようなもの。そういう方法でないと、情報に付随してる厚みが、正確に伝わらないということがあると思います。
たとえばハリウッド映画でしたらほとんど情報なので2倍速で見ても同じだと思います。ハリウッド映画が好きな方がいたら申し訳ありませんが。しかし、いわゆる名画を2倍速で見るやつはいないと思う。ビジネス書なら速読しても同じですが、ドストエフスキーやカフカ、哲学書を速読するバカはいない。そこにも時間が関わってきます。それは言語化できないものを言語化しようとする努力というか、明示化できないものを伝達しているからです。だからこそ、時間をかけて触れ合わなければならない。「話せばわかる」とか「言葉で説明しなさい」と、なんでも言葉で伝達できると考える人がいますが、それが近代主義者と呼ばれる人たちです。言葉や概念により、理性的に、合理的に、思考を積み重ねていけば正解にたどり着くと信じている。要するに左翼の発想ですね。本来の保守はそういう発想を批判し、世界の広大な領域を排除してしまう暴力と闘ったわけです。先ほど言ったような、何でも数値化できる、言語化できる、明示化できるという発想の暴力です。政治にも数字を持ち込み、統計の対象にしてしまう。そういう考え方に、日本人は汚染されていて、小池先生といつも話すのですが、大学も汚染されつつあるということだと思います。
IT企業の社長だったホリエモン(堀江貴文)っているじゃないですか。彼が「寿司職人に修行はいらない」という話をしていたんですね。寿司の専門学校に行って、短期間で必要な技術だけ入手できれば十分だと。そちらのほうが効率がいいという話です。修行などという非合理なものはいらないと。しかし修行とは明示化できないもの、言語化できないものを受け継がせる作業です。今、世の中全体がホリエモンみたいな発想になってしまって、何でも効率化しコスパで考えてしまう。しまいには、そういう発想が政治の世界にまで食い込むようになりました。政治の本質を深く考えるのではなく、効率的に票を集める手法を、突き詰めればいいという話になってしまった。そういう連中が、社会をどんどん、おかしな方向に導いてきた。これが今の日本の状況ではないかと思います。
小池:ありがとうございます。僕がよく大学の会議なんかで言っている「教える」ということについてと、非常に近いお話だったと思います。それはそうですよね、僕は適菜さんとふだんからしゃべって、僕が考えていることのほとんどは適菜さんに「教えて」もらっているので。ただし、効率的ではなく、食事しながらですが。僕は教えるというのは、英語で言うとTellとTeachの違いがあると思います。Tellは概念がわかっている人に情報を伝えることであって、Teachというのは概念そのものを教えることであると。で、そうすると、Teachは、非常に難しい。適菜さんの話でいうと、言葉にできないことも含めて教えざるを得ない。工学のことを大学で教えるということは、まさに工学の知識や情報を教える(Tell)ことでは事足りず、工学としての、いろんな概念的なもの、あるいは背景、歴史も含めて教える(Teach)のが大学の役割であろうと理解しているんですね。僕が工学教育協会に書いた文章では、本来の教育とは、客観的な情報と主観的な自分のなかの概念との差異から、自分の概念を再構築していく作業であり、そうしておかないと、クリエイティブなことはできないのではないかと。なぜかというと、外からの情報だけを知っている人が集団になっても、新しいことは生まれない。クリエイティビティ、創造性とは内発的なものではないかというイメージを持ってたんですね。
一方で伝統とは変えないことですよね。この変えないことが大事だというのは、非常によくわかります。職人が何も変えずにきっちりやることの難しさ。それに対する敬意を我々は持っている。寿司職人も言葉では通じないけれども、ずーっと同じことを繰り返している。これとクリエイティブなことをどう整合的に考えればよいのか、僕の中では、わからないですけど。そこはどうですかね。僕は適菜先生って呼んだことないので、適菜さん。伝統の継承と改革的・クリエイティブなこと。あるいはある種の将来への憧憬みたいなものと、この伝統の継承の、どういうふうなバランスが取れることが、教育にとって必要なのでしょうか。
適菜:そうですね。教育や知の伝達が近代によって、ゆがめられてきたという話は、すでにしましたが、大学は前近代的な師弟関係を残しているというか、むしろ非合理なものを積極的に守ろうとする役割があり、特に立派な大学は、そういうところがあると思います。クリエイティブとは何かということですが、伝統の継承と改革的・クリエイティブなことは相反するものではないと思います。何もないところから、いきなりクリエイティブなものは生まれない。
たとえば能でいうと、世阿弥が『風姿花伝』で言っていることですが、「秘すれば花」という言葉があります。よく誤解されているのですが「少し控えめにして隠しておくほうが品がいい」とか「美点は隠しておくのが大人としてのたしなみ」とかそういう話ではないですよ。世阿弥が言う「花」は具体的かつ表面的な美のことです。そういう「美しさ」を観客に伝達するためには、稽古を積み、いざというときのために芸を隠し持っておかなければならない。「秘するが花」とはこういう意味の言葉です。芸をたくさん仕込んでおけば、それが地下水脈みたいな形でつながっていき、やがてはクリエイティビティが発生する。能は型の集積であり、型を究めたところではじめて「型破り」ができる。型が最初からなければ、ただの「型なし」です。
明示化できるものだけを頭に叩き込めば、情報を叩き込めば、知的な武装ができるというのは近代人の傲慢です。体を動かして修行をしたり、型とか、フォームとか、歴史的なものの集積がないと、新しいことはできない。そういうことを教えるのが高等教育なのではないかとも思います。
(鼎談第2回へつづく)
<登壇者プロフィール>
■中野剛志(なかの・たけし)
1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』、『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』、『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室』(KKベストセラーズ)は大ロングセラー中。また適菜収との共著『思想の免疫力』(KKベストセラーズ)もある。最新刊は『奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵』(PHP新書)が絶賛発売中。
■適菜収(てきな・おさむ)
作家。1975年山梨県生まれ。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、『安倍でもわかる政治思想入門』『安倍でもわかる保守思想入門』『国賊論 安倍晋三と仲間たち』、『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』、中野剛志との共著『思想の免疫力』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)、『コロナと無責任な人たち』『ニッポンを蝕む全体主義』(祥伝社新書)など著書50冊以上。最新刊は『日本をダメにした 新B層の研究』(KKベストセラーズ)が絶賛発売中。「適菜収のメールマガジン」も配信中 https://foomii.com/00171
■小池淳司(こいけ・あつし)
神戸大学大学院工学研究科長。1992年岐阜大学工学部土木工学科卒業。1994年岐阜大学大学院工学研究科博士前期課程修了(土木工学専攻)。岐阜大学助手。1998年長岡技術科学大学助手。1999年博士(工学)(岐阜大学)。2000年鳥取大学助教授。2007年鳥取大学准教授。2011年神戸大学大学院工学研究科教授。主な著書に、『ようこそドボク学科へ!』(学芸出版)、『Policies to Extend the Life of Road Assets』(International Transport Forum,OEC)、『社会資本整備の空間経済分析』(コロナ社)、『インフラを科学する–波及効果のエビデンス』(中央経済社)、『価値創造の考え方:期待を満足につなぐために』(日本評論社)などがある。
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