すでに破綻国家だったウクライナと、トッドが指摘していたこと【中田考】
ロシアのウクライナ侵攻 その認識における「地域研究」の問題性【中田考:集中連載第2回】
「“安倍総理暗殺と統一教会”で露わになった“日本人の宗教理解の特性”」について、イスラーム法学者中田考氏がBEST TIMESに寄稿した論考【前編】【後編】が話題だ。一方で、ロシアのウクライナ侵攻は「知(学問)の現場」における由々しき問題を露呈させている、と語る。それはいったいどういうことなのか? 宗教地政学の視点からロシアのウクライナ侵攻について書き下ろした書『中田考の宗教地政学から読み解く世界情勢』の発売(10/7)が待たれるなか、今回最新論考全4回を集中連載で配信する。第1回のつづき、第2回を公開する。
【10.ロシア人とウクライナ人の家族人類学的相違】
ここではフランスの人口統計/歴史/人類学者エマニュエル・トッドが指摘するソ連から独立後のウクライナのネーション形成の問題点を以下に概観しましょう[1]。
トッドによると、人類学的な基盤からみてロシアは結婚後も両親と同居、親子関係は権威主義的、兄弟関係は平等な「外婚制共同体家族」の社会です。ボリシェヴィズムを生み出したこの「外婚制共同体家族」は、ゲルマン人の「直系家族」とモンゴル人の「父権制家族」の衝突から生まれたもので、ベラルーシ(白ロシア)と現在のロシア(大ロシア)の中西部辺りが発祥地域になります(48頁)。
ロシアのような共同体家族の社会は、平等概念を重んじる秩序だった権威主義的社会で集団行動を得意とします。こうした文化が共産主義を受け入れ、現在のプーチン大統領が率いる「権威的民主主義」の土台となっているのです。西側メディアが「戦争を引き起こした狂った独裁者」としてプーチン一人を名指しして糾弾するのは間違っています。プーチンのような人物が権力の頂点にいるのは、ロシア社会自体が、彼のような指導者を求めているためです。
他方、「小ロシア(マロロシア)」と呼ばれてきた「真のウクライナ」とでも言うべきキエフ(キーウ)からドニプロよりさらに少し先までひろがるウクライナ「中部」は、民族・原語・宗教の観点から言えば、ギリシャ正教のウクライナ語話者(ウクライナ人)でありながら、家族制度としては結婚後は子供が親から独立する核家族の社会です。ウクライナ社会は、共産主義を生み出したロシア社会とは異なり、核家族構造の個人主義的な社会です(38頁)。
その意味ではウクライナの核家族はロシアの共同体家族システムとは異なるため、ウクライナ人が「自分たちはロシア人とは違う」「小ロシア(ウクライナ)と大ロシア(ロシア)は違うのだ」と主張するのは筋が通っています(39頁)。これについては後述します。
ここで重要なのは歴史的にノヴァロシア(新ロシア)と呼ばれてきたロシア系住民が多い黒海沿岸とドンバスの東部・南部と、この「真のウクライナ」の他に、東方典礼を引き継ぎながらローマ教皇の首位権を認めるカトリック教徒(ユニエイト)が住みロシアからは「ほぼポーランド」とみなされるリヴィウを中心とする西部のガリツィア地方が存在することです。
【11.ウクライナ西部ガリツィアとユーロ・マイダーン革命】
ウクライナの最貧地区でもあるガリツィアが、ヨーロッパ、特にカトリックのポーランド人から好意を持たれた地域です。独ソ戦においてドイツ側についたこの西部の極右勢力が、実質的にドイツの支配下にある「ドイツ帝国」と化したEUに入りたがっているのです。プーチンが「ヤヌコビッチ政権を違法な手段で倒したクーデター」と呼ぶ2014年のいわゆる「ユーロ・マイダーン革命」を主導したのもこのガリツィアの極右勢力で、フランスの国民連合(旧・国民戦線)が「中道左派」に見えるほどの極右勢力であり、これがロシアの言う「ネオナチ」です。ナチというとユダヤ人虐殺というイメージがつきまといますが、ロシアにとっては、ナチスとはなによりも独ソ戦争の敵であり、「ネオナチ」とは、新たなロシアの敵の異名です。
「ユーロ・マイダーン革命」後、ロシア系住民が攻撃されたため、プーチンはロシア系住民の保護を口実に住民投票を経てクリミアを併合しました(42-43頁)。これに対して中部ウクライナの人々は元来はギリシャ正教徒でもウクライナ語を話し、ロシアに対して警戒感をもちながら、西部ウクライナ人の極右思想にも距離をとっていました。
つまり2010年においてなおウクライナ人の約半数がロシア人とウクライナ人が同じ民族であるとみなしていたのは、ウクライナの公定ナショナリズムによるネーション形成が遅れていた、というよりずっと深刻な事態であり、トッドはウクライナは国家形成に失敗していたと評しています。以下にその理路をかいつまんで説明します。
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序 タリバンの復活とアメリカの世紀の終焉
第I部:タリバン政権の復活
第1章 タリバンについて語る
第2章 アフガニスタンという国
第3章 アメリカ・タリバン和平合意
第4章 イスラーム共和国とは何だったのか
第5章 タリバンとの対話
第6章 タリバンとは何か
第7章 タリバンに対する誤解を超えて
第8章 タリバンの勝利の地政学的意味
第9章 タリバン暫定政権の成立
第10章 文明の再編とタリバン
第II部:タリバンの組織と政治思想
第1章 翻訳解説
第2章 「イスラーム首長国とその成功を収めた行政」(翻訳)
序
1.国制の法源
2.地方行政の指導理念
3.地方行政区分
4.村落行政
5.州自治
6.中央政府と州の関係
7.中央政府
8.最高指導部
9.最高指導者
10.副指導者
結語
第3章 「タリバン(イスラーム首長国)の思想の基礎」(翻訳)
序
1.タリバン運動の指導部とその創設者たちのイスラーム理解
2.思想、行状、政治、制度における西欧文明の生んだ退廃による思想と知性の汚染の不在
3.国際秩序、国連、その法令、決議等と称されるものに裁定を求めないこと
4.アッラーの宗教のみに忠誠を捧げ虚偽の徒との取引を拒絶すること
5.領主と世俗主義者の指導部からの追放と学者と宗教者の指導部によるその代替
6.民主主義を現代の無明の宗教とみなし信仰しないこと
7.一致団結と無明の民族主義の拒絶
8.純イスラーム的方法に基づくイスラームの実践
9.政治的制度的行動の方法において西洋への門戸の閉鎖
10.女性問題に関する聖法に則った見解
11.ジハードとその装備
跋 タリバンといかに対峙すべきか
解説 欧米諸国は、タリバンの何を誤解しているのか? 内藤正典
付録 アフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブ