国際政治学者は「ロシア vs 欧米の代理戦争」となぜ見做さないのか【中田考】
ロシアのウクライナ侵攻 その認識における「地域研究」の問題性【中田考:集中連載第4回<最終回>】
「“安倍総理暗殺と統一教会”で露わになった“日本人の宗教理解の特性”」について、イスラーム法学者中田考氏がBEST TIMESに寄稿した論考【前編】【後編】が話題だ。一方で、ロシアのウクライナ侵攻は「知(学問)の現場」における由々しき問題を露呈させている、と語る。それはいったいどういうことなのか? 宗教地政学の視点からロシアのウクライナ侵攻について書き下ろした書『中田考の宗教地政学から読み解く世界情勢』の発売(10/7)が待たれるなか、今回最新論考全4回を集中連載で配信する。第4回最終回を公開。
【19.アメリカの人種主義的民主主義】
最後に、トッドがウクライナ戦争を分析する概念装置を概観して以下におきましょう。
ロシアがほぼ無制限の父親の強い権威と兄弟間の平等を併せ持つ農村の外婚制共同体家族構造に由来する「権威」と「平等」に基づく精神システムを持つのに対して、アメリカは核家族に由来する「自由」と「不平等」という正反対のシステムを持っており、冷戦期にはそれが補完的に作用した、とトッドは言います。
アメリカはロシアを成長に向かわせ、ロシアはアメリカを平等に向かわせ、両国の教育の普及による大衆の識字化は双方に市民社会を成立させました。但し兄弟間の平等が存在しないアメリカは白人と非白人(黒人と先住民)の区別によって、人種主義に由来する「白人同士における平等」という平等の理念を見出しました。こうしてソ連の「全体主義的民主主義」に対して、「政治哲学の机上の空論」からはかけ離れたアメリカの「人種主義的民主主義」が成立しました。
しかしこのアメリカの「人種主義的民主主義」は二つの理由で崩壊します。
第一に、ソ連の民族解放を謳う共産主義との対抗上黒人を対等に扱うことを迫られ人種主義を公言することはできなくなりました。
第二に、共産主義の影響による労働組合による労働者の地位向上を経営者層が抑え込み、高等教育進学率が25%を超え、能力主義により格差を正当化する新たなエリートが生まれ、上層部でエリートの出現により白人間の平等が霧散し、下層部で黒人に追い上げられることで白人の平等が浸食され、アメリカの人種主義的民主主義から芽生えかけた平等主義の契機が失われました。
【20.リベラル寡頭制vs権威主義的民主制】
これがレーガン元米大統領(在位1981-1989年)が反動的な新自由主義(新保守主義)に舵を切った背景です。それから40年経ち、アメリカの新自由主義的ナショナリズムは国内産業、労働者階級、社会保障制度を破壊し、生活水準を低下させ、ついには平均寿命まで低下させるに至りました(121-132頁)。寿命にまで及ぶ社会格差が拡大し、金権政治が公然と横行するアメリカの政治システムは、科学的にも政治哲学的にももはや「自由民主主義」と呼ぶことは適切ではありません。トッドは、現在のアメリカの政治システムを「リベラル寡頭制」と呼びます。
トッドはそれに人類学的視点を加え、現代世界の真の対立を「自由民主主義陣営vs専制主義陣営」ではなく「リベラル寡頭制陣営vs権威的民主制陣営」だと述べます(121-132, 167-169頁)。自陣営を自由民主義と呼び法的な善なる国際秩序の拠って立つ原理として正当化し、ロシアを悪魔化する日本で罷り通っている戦争当事者であるアメリカの情報戦の枠組よりは、このトッドの分析枠組の方が有益だと私は考えています[1]。
【21.地域研究者の研究対象へと思い入れ】
ここまで思わず遠回りをしてトッドのウクライナ戦争論を紹介しましたが、ここまで論じてやっと本題の地域研究の問題点に戻ることができます。
地域研究は冷戦期のアメリカで発展した学問で、(英米流)地政学(geopolitics)と同じく、英米を主軸として第二次世界大戦の戦後処理を英米を主軸とした戦勝国(United Nations)によって西欧に有利に進めるために領域国民国家システムを再編した国際連合(United Nations)を合法性の所与とし、アメリカの「国益」に奉仕するという明確な価値志向を有する方法論/世界観に立脚する政策科学です。
冒頭(第1回)に述べた通り、地域研究は地域研究の名に反して、実際には各国研究の寄せ集めです。それにはまずフィールドワークを行うためにビザを取る、という第一歩からして研究者は領域国民国家システムの枠組を超えられない、という実際的な理由があります。そして地域研究の対象となる多くの国では、調査の許可を取るのが難しく、政府に対して批判的な研究を発表すると入国ができなくなります。東南アジア地域研究者で『想像の共同体』の著者ベネディクト・アンダーソンがスハルト政権を批判して1972年から26年間にわたってインドネシアの入国を禁止されたことは有名な逸話です。ベネディクト・アンダーソンほどの大学者であればともかく、入国を禁じられフィールドワークができなくなることは地域研究者にとって「致命的」です。
私も在サウジアラビア日本大使館で専門調査員を務めたことからイスラーム地域研究に手を染めることになりましたが、本さえあればフィールドに行けなくても困らないイスラーム古典研究が本業であったため、現行の全てのムスリム諸国をイスラームの規範的政治制度であるカリフ(イマーム)制に反する反イスラーム体制である、と批判することができた、とも言えます。
そういった実務的な理由に加えて、「一般的な傾向として地域研究者は研究対象地域に思い入れを抱きがち」[2]と言われます。つまり地域研究者は研究対象国の政策に親和的になりがちであり、特に地域研究の主たる対象となる後発ネーション・ステートについてはその公定ナショナリズムに批判的になることは難しくなります。公定ナショナリズムを有する対象国同士が敵対している場合、当事者国同士の対立の解決が難しいだけでなく、地域研究者同士の状況認識のすり合わせすら困難になります。ロシアのウクライナ侵攻をめぐる状況もそれに当て嵌まります。
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序 タリバンの復活とアメリカの世紀の終焉
第I部:タリバン政権の復活
第1章 タリバンについて語る
第2章 アフガニスタンという国
第3章 アメリカ・タリバン和平合意
第4章 イスラーム共和国とは何だったのか
第5章 タリバンとの対話
第6章 タリバンとは何か
第7章 タリバンに対する誤解を超えて
第8章 タリバンの勝利の地政学的意味
第9章 タリバン暫定政権の成立
第10章 文明の再編とタリバン
第II部:タリバンの組織と政治思想
第1章 翻訳解説
第2章 「イスラーム首長国とその成功を収めた行政」(翻訳)
序
1.国制の法源
2.地方行政の指導理念
3.地方行政区分
4.村落行政
5.州自治
6.中央政府と州の関係
7.中央政府
8.最高指導部
9.最高指導者
10.副指導者
結語
第3章 「タリバン(イスラーム首長国)の思想の基礎」(翻訳)
序
1.タリバン運動の指導部とその創設者たちのイスラーム理解
2.思想、行状、政治、制度における西欧文明の生んだ退廃による思想と知性の汚染の不在
3.国際秩序、国連、その法令、決議等と称されるものに裁定を求めないこと
4.アッラーの宗教のみに忠誠を捧げ虚偽の徒との取引を拒絶すること
5.領主と世俗主義者の指導部からの追放と学者と宗教者の指導部によるその代替
6.民主主義を現代の無明の宗教とみなし信仰しないこと
7.一致団結と無明の民族主義の拒絶
8.純イスラーム的方法に基づくイスラームの実践
9.政治的制度的行動の方法において西洋への門戸の閉鎖
10.女性問題に関する聖法に則った見解
11.ジハードとその装備
跋 タリバンといかに対峙すべきか
解説 欧米諸国は、タリバンの何を誤解しているのか? 内藤正典
付録 アフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブ