「学校に行けない子どもたち」はもはや特別な存在ではない【西岡正樹】
■スポーツも勉強も頑張る生徒が、突然不登校に
中学生になったKは、勉強もサッカーも頑張っていました。サッカーは部活動ではなく地域のクラブチームに所属し、中学校では陸上部に入り、どちらの練習も手を抜くことはありませんでした。時間的にも体力的にも大変な時もあるが、どちらもやりたいし、自分のやるべきことを理解し打ち込んでいました。また、それだけではなく、学習面においても十分すぎる成績を収めていたので、中学校の教師たちもその頑張りを認めていました。私の友人であるKの父親は息子には厳しく接するタイプでしたが、その父親が
「自分の息子ながらよくやっているな、と思えるぐらいに頑張っていました」
と言う程だから、Kの頑張りの大きさは想像できます。
ところが、中学2年生になった5月(2022年)、突然、Kの「登校渋り」が始まったのです。いや「登校渋り」は正確ではありません。学校に行こうとすると体が急に重くなり、体も心も動かなくなってしまったのです。それを知った両親や教師は、ただただ驚くばかり。Kの頑張りと結果に満足していたKの周りの大人たちは、困惑の他何も見出すことができませんでした。
6月には、定期テストがあります。Kも、そのテストがこれからの自分の進学に影響を及ぼすことが分かっていたので、気持ちと体を奮い起こして学校に行きました。ところが、気持ちと体がどうしても一つになれない。テスト中に突然気分が悪くなり、これ以上テストを受けられない状態になってしまい、結果、定期テストは、実施教科の半分しか受けることができませんでした。
Kも、自分がどうしてこのような状態になってしまったのか、自分で納得できる理由が見つけられないでいました。だから、K自身も「自分の頭の中がおかしくなってしまったのではないか」と思いながら日々を過ごし、不安ばかりが増していたようです。Kは自分の中で何かが起きていることに気が付きながらも、自分ではどうすることもできない日々が続いていました。そして、ついに、母親にこのように訴えたのです。
「僕はなんかおかしい。だから、病院に行って診てもらいたいと思うんだけど」
自分をきちんと見つめ、自分のやるべきことは何なのかを明確にして行動してきたKだからこそ言えた言葉なのかもしれません。周りの大人にとってもKの「不登校」は青天の霹靂でした。何の前触れもなく(あったのかもしれないが気がつかない)、ある日突然、電池切れのように体が動かなくなってしまった姿を見て、周りの大人たちは戸惑うばかりなのです。Kのお父さんから話を聞いている私自身さえKの言動に驚き、「不登校」という闇に迷い込んだような感覚になってしまいました。
それでも、両親は、すぐには心療内科に連れて行こうとは思いませんでした。スクールカウンセラーと相談しながら、両親はいくつかの手をつくしましたが、結果は早急についてくるものではありません。そこで、不安な気持ちを抱えながら生活していたKの希望を受け入れ、両親はKを心療内科に連れて行くことにしたのです。
両親は、Kが心療内科に行くことに、諸手をあげて賛成することができませんでした。なぜなら、「そのままでいいんだよ」という今の状態を容認する言葉を、医師がKにかけることで、今の状態が長引いてしまうことを懸念したからです。しかし、心療内科の医師から告げられた言葉は、意外なものでした。そして、その言葉は、電池切れになったKの体に、エネルギーを注入することになったのです。
「K君、君は病気じゃない。だから大丈夫だよ」
この言葉によって、エネルギーを少しずつ蓄え始めたKは、まもなく登校を始めました。それをきっかけに、少しでも負担を減らすために、今までやっていたサッカーと陸上の二刀流を、サッカーだけに集中することにしました。Kは、小学校時代から長距離、短距離どちらにも走力があり、中学生になっても両方で大きな能力を発揮してきたが、二刀流でも十分やっていける力はあったとしても、肉体的にも精神的にも大きな負担になっているかもしれないと危惧したからです。
それが不登校の大きな原因ではないと分かっていましたが、少しでも負担を少なくするために必要な判断でした。その後、サッカー一本にしぼったKは、クラブの練習以外にも自主練を進んでするようにもなったのです。今、両親は枯渇していたKのエネルギーが、体の中にたまり始めたことを、Kの行動から感じ始めています。しかし、安心しているわけではありません。今もって、K本人も両親も、どうしてエネルギーが突然切れてしまったのか、その理由が明らかになっていないから、いつまた同じことが起こるかもしれないという不安は、消えていないのです。