「学校に行けない子どもたち」はもはや特別な存在ではない【西岡正樹】
■子どもが不登校になるその原因の『根っこ』とは
年代の違う2つの事例を挙げましたが、この2つの事例にあるように、不登校は突然にやってきます。何事にも夢中に取り組み、自分が納得するまでやり続けている頑張り屋の子どもでも、自分でもよく分からないうちに、体が突然動かなくなってしまうことがあるのです。また、自ら「不登校」を選択する子どももいますが、その多くは、学校に対する違和感をずっと抱えながら生活するうちに、ある日、突然「気持ちスイッチ」がオフになってしまうのでしょう。
私は、40年を越える教員生活の中で、学校に行くことができなくなった子や、学校に行かないことを選択した子など、多くの事例に触れてきました。「子どもが不登校になるその『根っこ』は何だろう」と考えるようになりました。そして、一つの考えにたどり着いたのです。その「根っこ」というのは、子どもが生活している3つの生活環境(家庭、学校、社会)の間に生じている「ずれ」なのです。そして、それに伴って子どもが知らず知らずに抱えて込んでしまう「ストレス」が不登校の原因になっているのではないか、と。
日本の社会を見てみると、そこには多様な生き方(ライフスタイル)がある一方、共同体感覚を失っています。また、私たちの社会では、他人との関りを嫌い、「孤立化」を選択することも珍しくありません。さらに、他人と直接関わらなくても楽しめる道具(パソコン、携帯、ゲーム)を持つことで、一人でいることをさらに勢いづかせました。
それに対し、子どもたちが学ぶ学校には、それぞれが不愉快な思いをしないで生活するための、ルールやマナーがあります。学校には世の中に求められているほど多様性などなく(好き勝手はできない)、子どもたちは同じ行動をとることを求められているのです。また、学校には、1年間で何を学ぶのかを明確にしたカリキュラムがあります。つまり、思いや考えも違う人たちと、同じ場所で同じことをしなければなりません。そればかりか、多くの人と繋がりながら、学習課題を解決することを求められます。
このように見てくると、規律を求める学校と多様性を尊重しようとする社会(あるいは家庭)には、大きな「ずれ」があることが分かります。子どもたちは、毎日、このような「ずれ」の中で生活しているのです。当然、その「ずれ」を感じながら生活していると、ストレスも溜まるでしょう。このようなことは、学校に限らず「会社」でも同じことが言えるのではありませんか。ストレスの溜まる学校や会社に長時間いれば、そのことに我慢できない人が出てきても不思議ではありません。むしろ、そのような子どもや大人がいて当然なのです。
35年前の教え子は、「男の先生が嫌だ」という理由で登校を拒否し、違うクラスに替わりましたが、それは自分の中にある「違和感」=「ストレス」に過敏に反応し、素直に行動しただけなのだろうなと、今なら思えます。35年前は、まだ「学校」と「社会」のずれはそんなに大きなものではありませんでした。だから、当然、S子のような事例は少なく、特別な事のように感じましたが、それぞれの「ずれ」が大きくなった今では、そのようなことは誰にも起こりえることなのです。
前述したKの事例からも言えることなのですが、「不登校」は特別な生徒に起こることではありません。社会環境と家庭環境、学校環境と社会環境、そして、家庭環境と学校環境、子どもたちは、いくつもの「ずれ」=「ギャップ」の中で生活しているということですから、それぞれの「ギャップ」にうまく対応できない子どもが出てきても、当然ではありませんか。これからも、このような「ずれ」が大きくなればなるほど、「不登校」は増えるし、大人の「引きこもり」が増えることも、十分に予想されます。しかし、これから、とんでもないことが起きて非常事態にならない限り、「ずれ」のない社会を作り出すことはできません。ということは、あまりにナイーブなこの世の中、この「ずれ」を受け入れて逞しく生きていくことは難しいかもしれないが、その方法を考えるべきではないでしょうか。
文:西岡正樹