「チャールズ三世隠れムスリム説」の文化的背景とその伝統【山本直輝】
■チャールズ三世と伝統主義学派
前回は「チャールズ三世隠れムスリム説」と、その噂を引き起こす要因となったチャールズ三世のイスラームに対する関心を簡単に紹介した。しかし、英国とイスラームの歴史というと、私たちはもっぱら英国の植民地政策や東インド会社、あるいはパレスチナを始めたとして中東に多くの政治的問題を残した三枚舌外交に代表される英国の「支配」と「裏切り」の歴史を思い浮かべるのではないだろうか。
BBCの元会長ジョン・バートの息子であり、英国人改宗ムスリムの作家であるヤフヤー・バート氏も、チャールズ三世が英国王室きっての「イスラーム好き」であることは認めながらも、大英帝国の植民地支配の歴史、君主制の本質的な「反メリトクラシー[注1]」に言及しながら、英国に住むムスリム達が無批判にチャールズ三世に魅了されてはならないと警鐘を鳴らしている。
一方でバート氏は、チャールズ三世の宗教理解に対して興味深い指摘をしている。90年代に、チャールズ三世は国王の称号「信仰の擁護者(Defender of the Faith)」から定冠詞theを省いた「信仰の擁護者(Defender of Faith)」を名乗ることを提唱し、論争を巻き起こした。
これは、キリスト教(英国国教会)の信仰を意図したThe Faithから、多様な宗教的背景をもつ現代の英国社会を反映し、一般的な信仰Faithの擁護者として英国王室を位置づけたい彼の意図の表れであるとされる。彼の多元的にも見える宗教理解は、フランスの形而上学者でイスラームに改宗したルネ・ゲノン(1886年~1951年)やドイツの形而上学でイスラームに改宗したフリッチョフ・シュオン(1907年~1998年)の「伝統主義学派」の影響であると言われている。
ルネ・ゲノンは19世紀の啓蒙主義の物質主義的態度に反発し現代西洋文明を本来の伝統的精神からの逸脱ととらえ、西洋のギリシャ哲学やキリスト教神秘主義、東洋のイスラームや仏教、道教に通底する「精神的伝統の究極的一致」を唱えた人物である。この伝統主義学派と呼ばれるサークルは、伝統的宗教の教えの中には程度の差こそあれ、共通する普遍的な真理が存在することを信じている。
チャールズ三世はペレニアリズム[注2]を研究する学術機関であるテメノス・アカデミーの長年の後援者であり、トルコ・イスラーム美術にインスピレーションを受けたカーペット・ガーデンの設計なども単なる「イスラーム好き」というよりは、東西に共通する精神的伝統を認め、イスラーム美術をもって普遍的真理を追求するという彼の「伝統主義」的態度の表れなのかもしれない。
またチャールズ三世は英国人改宗ムスリム知識人マーティン・リングス(1909年~2005年)による預言者ムハンマドの伝記『ムハンマド―初期資料に基づいた彼の生涯』や彼のシェイクスピアに関する本のファンであることも知られている。マーティン・リングスはルネ・ゲノンやシュオンの思想に惹かれ、シュオンの指導のもとでイスラームのスーフィー教団(精神修行サークル)であるシャーズィリー教団アラウィー流派の弟子となった。
このマーティン・リングスが所属したシャーズィリー教団アラウィー流派は西洋、アメリカのエリート層で大きな影響力を持ち、特にイギリスでは「ムラービトゥーン(防衛者)」と呼ばれるイスラーム伝統主義学派の運動を生み出した。
ムラービトゥーン運動の創始者イアン・ダラス(1930年~2021年)は元シェイクスピア俳優の作家だったがイスラームに改宗し、修行を積んでシャーズィリー教団アラウィー流派の導師となる。彼は金本位制の復活を通して現代国民国家の打倒を唱え、彼の思想に影響されイスラームに改宗した欧米の左派知識人は多くいる。
「チャールズ三世隠れムスリム説」の文化的背景の一つとして、このような白人の改宗イスラーム教徒達の知的系譜がある。彼らはイスラーム文明のアラブ、インド・ペルシア、トルコ、マレー・インドネシア、アフリカ文化に並ぶ、独自の「アングロ・イスラーム」の知的伝統を築いてきたのである。
【注】
[1]メリトクラシー :メリットとクラシーを組み合わせた造語で、個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会のこと。イギリスの社会学者マイケル・ヤングによる1958年の著書『Rise of the Meritocracy』が初出とされる。
[2]ペレニアリズム:世界の様々な伝統宗教が説く真理の根源的一致を唱える学派。
文:山本直輝