日本人はなぜ「男色」に惹かれるのか?
現在観測 第27回
史上初のBL文学とでも言うべきプラトンの「饗宴」のなかで、ソクラテスの弟子の一人が、パトロクロスの方が年下のように世間では思われているが、本当はアキレウスの方が年下で、しかもパトロクロスのお稚児さんだったんだと暴露しています。
しかし、わざわざこう言上げしなくてはならなかったこと自体、すでにこの頃、BC4世紀頃のギリシャでは美少年アキレウスのイメージが、マッチョな壮年男性に変化していたということを示唆しています。
何故、こうなったかと言えば、地中海世界における、異人種・異民族同士の激しい闘争の歴史のためと思われます。
旧約聖書では、羊飼いの美少年ダビデがパチンコを使って巨漢のゴリアテを打ち倒しますが、こんなのはレアケースで、実際には大きくて強い成人男性に少年は勝てません。
平敦盛を組み伏せた熊谷直実がハラハラと涙する場面が平家物語にありますが、これは文脈が同じもの同士の戦いだから起きることで、異民族間の戦いではありえない事です。
歴史が進み、文明の視界が広がり、お互いに攻伐を繰り返すなかで、この事実を嫌というほど思い知った地中海民族は、英雄性をまとった少年というイメージを捨てざるを得なかったのでしょう。殷周革命など、易姓を偽装しても、実態は異民族間の攻伐による政権交代を繰り返した中国も同様です。
しかし、日本では大陸のような、相手を破壊しつくす、殺しつくす式の、戦いは経験しませんでした。もちろん、戦国時代のような激しい闘争の歴史もあり、英雄性は壮年の男に、美しさは女性へという傾向がなかったわけではないですが、その流れは途中で止まり、美と英雄性は少年の身の内に留まり続けたのです。
退潮が緩やかだったため、日本では「美少年」の発展から衰微まで丹念にたどることが出来ます。起源を推測することも容易で、それは神の従属者でした。
南九州地方には「トッノカン」というお祭りがありますが、主役となるのは十四歳くらいの少年たちです。トッノカンは「時の神様」という意味で、家々を回る神性を宿した少年たちは、慇懃な接待を受け、時には豊作を願って拝まれることもありました。
なぜ男の子をトッノカンと呼ぶのかというと、大人はただの人間だが、子供はカンサア(神様)だからだそうです。
これは、過去、お寺の稚児のことを小坊主たちが「お稚児様」と呼び、御膳を持っていくときも「お稚児様、お昼をここに置いておきますからね」といった風な言葉遣いをした史実と一致します。
古来日本人は、少年の清らかで凛とした風情、神秘的な言動に、神のよりましとしての適性、いやむしろ神そのものを、感じて来たのです。それは、ギリシャ神話で、ゼウスが自分の侍童にするため、美少年ガニュメーデースを誘拐したという逸話と一脈通じるものがあるでしょう。