日本型華夷秩序が形成された!?
江戸時代の日本人の世界観
日本人は世界をいかにみてきたか 第3回
日本の古典や古代史を研究し、儒教や仏教が導入される前の日本人の精神を明らかにし、我が国独自の思想(古道)を究明してゆこうとする学問だ。
荷田春満は京都の伏見神社の神官だったが、日本人古来の精神を明確にする必要から古語や古典の研究を奨励。春満の弟子・賀茂真淵は、遠江国・浜松の神官の子だったが、古代人の「高く直き心」を称賛し、古道へ復帰せよと説いた。
伊勢国・松坂の小児科医・本居宣長は真淵に弟子入りし、三十数年かけて『古事記伝』四十四巻を完成させた。宣長は『古事記』の「神ながらの道」や『源氏物語』の「もののあはれ」の精神こそ、日本人の魂の寄りどころだとし、「漢意」を排除し「大和心」(日本人古来の精神)に回帰せよと主張した。
維新志士に影響を与えた尊王思想
宣長の影響を受けた秋田藩士平田篤胤は、国学を国粋主義的な観点からとらえ、尊王思想を説き復古神道を確立した。しかし、仏教や儒教を激しく排撃したため幕府の忌避するところとなり、著述を禁じられ、江戸から秋田へ送還され、二度と江戸へ戻ることは許されなかった。だが、後に彼の尊王思想は、志士に多大な影響を与えることになる。
そんな篤胤に学んだ経世家の佐藤信淵はその著書『混同秘策』のなかで
「皇大御国(日本)ハ大地ノ最初ニ成レル国ニシテ世界万国ノ根本ナリ。故ニ能ク其根本ヲ経緯スルトキハ、則チ全世界悉ク郡県ト為スベク、万国ノ君長皆臣僕ト為スベシ。」、「蓋シ世界万国ノ蒼生(万民)ヲ救済スルハ極テ広大ノ事業ナレバ、先ヅ能ク万国ノ地理ヲ明弁シ、便宜其ノ形勢ニ従テ天意ノ自然ニ妙合スルノ所置ナケレバ、産霊ノ法教モ得テ施スベカラザルナルナリ」、「世界ノ地理ヲ審ニスルニ、万国ハ皇国ヲ以テ根本トシ、皇国ハ信ニ万国ノ根本ナリ」
と述べている。皇国である日本は世界の中心であり、それゆえに世界を支配するべきであり、世界を統治するためには各国の地理を知って的確に統治しなくてはならないと述べた。なんとも壮大な構想だ。
江戸時代の知識人は、鎖国によって海外情報が制限されているだけに、むしろ貪欲にそれを知ろうとした。ただ、「日本型華夷意識」をもって針の穴から世界を見ようとしたので、その世界観はゆがんだものになったのである。洋学の先駆者といわれる西川如見はまさにその代表といえるだろう。
しかし、そうした如見などから海外の情報を得た八代将軍徳川吉宗は海外に興味を持ち、漢訳洋書を解禁する。これにより、西欧の情報が容易に手に入るようになり、医師の前野良沢や杉田玄白らがドイツの医学書(オランダ語訳)を翻訳して『解体新書』を発行したのを契機に蘭学(洋学)が勃興する。まず医学分野の研究が先行し、やがて天文学や地理学、化学などにも拡大していった。
さらに十八世紀後半になると、船で遭難して外国にたどり着き、外国生活を経験した漂流民の記録が刊行されるようになっていき、次第に日本の支配層や知識層は正確な世界観を持ち始めることになるのである。
- 1
- 2