独裁者を反面教師に学ぶ
独ソ戦の現代的意義
「二正面作戦」を避けるために結んだ独ソ不可侵条約をなぜ破棄したのか?
6月22日といえば、ヨーロッパでは独ソ戦(1941~1945)の開始日として、多くの人々に記憶されてる日である。1941年のこの日、ナチス・ドイツはソ連を奇襲攻撃した。この後、ナチス・ドイツの崩壊まで続いた今世紀最大の地上戦の開始である。ロシアでは、この戦争は「大祖国戦争」と呼ばれる。当時、ソ連邦の支配者はヨシフ・スターリン。
スターリンと言えば、ヒトラー、毛沢東、ポル・ポトと並ぶ、20世紀最悪の独裁者。大粛清によって殺した自国民の数は、これも諸説あるが、最大700万人を数えるという。
そのスターリンが、もう一人の20世紀最悪の独裁者ヒトラーと直接対決したのが、1941年6月22日に始まった独ソ戦である。
この独ソ戦は、その約2年前、1939年8月23日に結んだ独ソ不可侵条約を破ってのヒトラーの電撃作戦であった。これを世に「バルバロッサ作戦」と言う。
ドイツもソ連も「二正面作戦」だけは避けたい思いで、悪魔と悪魔がこの不可侵条約で一旦は手を結んだ。ヒトラーの最大目標は、ドイツの生存圏(レーベンスラウム)を東方へ拡大することであった。中川右介著『ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦』(KKベストセラーズ)は次のように述べる。
「この戦争の原点に戻れば、ソ連征服が根本的な目標である。戦略の大原則は二正面作戦を避ける、である。そこで、ソ連との東部戦線に専念するためには、先に西部戦線を消滅させなければならず、そのためにドイツはフランスまでを支配下に置いた(1940年6月25日)。だが、イギリスが残った。そこで英本土へ上陸し、イギリスを征服しなければならなくなった(同年8月、英本土爆撃開始)。だが、それは極めて困難で、すぐにはできないことがわかった。イギリスが闘い続けているのは背後でソ連が支援しているのではないかとすら、疑っていた。
それならば、イギリスはしばらくそのままにしておいて、先にソ連を征服してしまおう。ソ連が倒されれば、イギリスも諦めて和平を言ってくるだろう――ヒトラーの思考はこのような段階を経て、結局、そもそもの目的であるソ連侵攻に戻った。
だが、この時点でなぜソ連を倒さなければならないのかというと、イギリスとの戦争を終わらせるためなのである。では、そもそもイギリスと戦争になったのはなぜなのか。ソ連への侵攻を邪魔されないためだったのではないのか。
何のために、どの国と闘うのか、もはやどうでもよくなっている。」