世界の複雑さと向き合うための、シンプルな方法。『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』著者・片岡大右氏インタビュー
2021年夏に起こった、ミュージシャン・小山田圭吾氏の「いじめ」に関する炎上騒動。日本中が大騒ぎしたこの事件を、デヴィッド・グレーバーの翻訳でも知られる批評家の片岡大右氏が「インフォデミック」という観点から論じた『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』が集英社新書から発売され、売り上げランキングでも上位に付けるなど話題になっている。
この度本サイトは、著者の片岡氏に単独インタビューを敢行。副題で「現代の病」と銘打れた「インフォデミック」の実態と、SNS時代に自分を見失わないための知恵を伺った。
――今回、小山田圭吾の炎上について論じた片岡さんですが、最近だとデヴィッド・グレーバーの翻訳や解説の仕事で名前に見覚えがある人も多いと思います。まずは片岡さんがどんな興味をもって、どんな仕事をしてきた人なのか自己紹介をしてもらえますか。
片岡:普段は大学でフランス語を教えたり、フランスの社会や文学、これはフランスのものに限りませんが哲学や政治思想について、講義や演習を担当しています。学術的な専門分野は、フランス革命後19世紀前半のフランス思想・文学ということになりますが、それに限らず20~21世紀のフランスについても、思想の動向などを紹介してきました。
そうしたこともあって、狭義の専門を越えたところで、様々なテーマについて文章を書く機会がだんだん与えられるようになりました。最近ではフランス系の知識人のかつての大御所ともいえる加藤周一に関しても書く機会が増えています。
大学の外で活動するときには、批評家を名乗っています。上に挙げたようにいろいろなことをやっているので、つかみ所のない「批評家」という肩書きは便利なんですね。しかし単にそれだけではなく、批評、あるいは批判とはそもそもなんなのか、社会の中でどういう役割を持つのかといったことに関心がありますので、いま準備中の評論集は『批評と生きること』を仮題とし、そのあたりのことを論じようと思っています。
デヴィッド・グレーバーに関しては、彼はたしかにフランスでも人気ですけれど、アメリカ出身で、イギリスで教員をしていた人類学者です。私は人類学者ではないので学問の点は関係ありませんし、地域・言語の点でも関係ないわけですが、フランス研究から出発して「いろいろなことをやる人間」と見做されるようになっていたおかげで、彼の著書『民主主義の非西洋起源について』の翻訳を引き受けることができました。グレーバーは英語圏の知識人ですけれども、フランスとそれなりに結びつきがありました。私が訳した本も原文は英語ですが、初出はフランス語の雑誌に掲載されたフランス語訳でしたから、翻訳に際してはそちらも参照しています。
この本は国際的ベストセラーとして日本語訳が待たれていた『ブルシット・ジョブ』の直前に出版されて、要は前座的な役割を果たしたことで話題になり、翻訳者である私も注目されました。その後にグレーバーが亡くなったこととも相まって、私も解説を書いたり新聞に追悼を書いたりと、日本の出版業界で「グレーバーの紹介者」のような役割を期待されるようになりました。
ということで、日頃はフランス研究やそれに関連する講義をやっていますし、最近は加藤周一論やグレーバー紹介の仕事、先ほど言及した評論集をまとめる作業など、いろいろと依頼されてやるべきことがあったのですが、授業はともかくそうした執筆の仕事全てを棚上げにして優先せざるを得なかったのが、この小山田圭吾の炎上案件だったんです。
――なるほど。例の炎上が起こったのは東京オリンピックの直前である2021年7月ですが、それまで片岡さんは小山田圭吾、そして彼の「いじめ問題」についてどんな印象を持っていましたか。
片岡:私は高校時代からYMOのファンで、「再生」コンサートの前年、1992年に発売された「テクノ・バイブル」というBOXセットのブックレットの寄稿文で、小山田圭吾の名前を初めて意識しました。ここで小山田は「YMOについては、よく知らないので、特に言うことはありませんが、高橋幸宏さんとは隣でボーリングをしたことがあります」というコメントを寄せていて、「なんと生意気な若いミュージシャンだろう」と思った記憶があります(笑)。
その後、ソロデビューした小山田圭吾、つまりCorneliusの音楽を聴くようになりましたが、特に97年の『FANTASMA』が私にとって決定的な作品になり、それ以後は現代における音楽、音の経験を体現するような人物であり、別格……という印象を持っていたミュージシャンではあります。
さて、その小山田圭吾の「いじめ発言」を私がどんな感じで受け取っていたかというと、1990年代の時点で問題の発言が掲載されたのは大きく2誌、『ROCKIN’ON JAPAN』(94年1月号)と『QuickJapan』(第3号、95年8月)ですが、このうち『ROCKIN’ON JAPAN』のほうを私は90年代に読んでいて、やはり非常に嫌な印象を受けました。
今回の本でも取り上げましたが、『ROCKIN’ON JAPAN』の「いじめ発言」は編集者のゼロからのねつ造ではないにしても、かなり問題含みの歪曲が含まれていて、当時から小山田圭吾はいくつかの媒体で「あれ、真に受けないでください」みたいなことを言っています。私は小山田圭吾・Corneliusの音楽がすごく好きでしたけれど、インタビューをなんでもかんでも読むような熱心なファンではありませんでしたから、その内容を小山田自身が否定していることは当時知りませんでした。
それもあって、記事を読んだ後も小山田圭吾の音楽は好きであり続けたけれど、あの記事だけをパッと見た時の悪印象はずっと残り、「昔のことであるにせよ、こんなふうに軽々しく口にするのはいかがなものか」「結構、嫌なやつなんじゃないか」という感じに90年代には思っていたわけです。
その後、2010年代の前半に今度はネット上で、この本でも論じた「孤立無援のブログ」を目にすることになります。この「孤立無援のブログ」の記事は、最初に公開されたのは2000年代中盤ですが、2011年に大津市で起こった中2自殺事件が翌12年に世間的に話題になったことをきっかけに、この記事もより広く読まれるようになりました。
そこでは先の『ROCKIN’ON JAPAN』の記事の抜粋を掲げたあとに、『QuickJapan』に掲載された記事「いじめ紀行」の、かなり問題含みな引用が続けられています。例えば「同級生の下着を脱がして性器を露出させて、みんなで笑っている」みたいなことを小山田が語っているということが書かれています。
この「いじめ紀行」から抜粋されている部分は、原文では、「周りの人がそれをやっていて、小山田自身はべつに介入して「やめろよ」と言うわけでもないけれど、「こういうのはちょっとないな」と思って引いて見ている」という話です。実際に読むと小山田がそこまでとんでもないやつだとは思わないのですが、ブログでは悪意のある抜粋がされているから、小山田がそうした行為を主導して楽しんでいるように読めてしまう。
けれどもインターネットで読んだ当時は原文にまでは当たりませんでしたから、「本当にひどいやつだな」と改めて思った……というのが2010年代前半の経験です。だからと言って小山田圭吾・Corneliusの音楽を聴くのを止めはしなかったけれど、「90年代にも思っていたけれど、かつては相当嫌なやつだったんだろうな」と思いながら聴いていたわけですね。
「孤立無援のブログ」はちょっとショッキングでしたから、「判断を固めるには、全体の文脈を読む必要があるな」と思って一応『QuickJapan』の該当号は入手していました。ですがべつにいじめの記事なんか読みたくないですから、本棚の隅っこのほうに入れて読んでいませんでした。
こういった状況で、あの炎上が起こった2021年7月を迎えたわけです。