新幹線の礎?「弾丸列車計画」
戦前にも計画されていた新幹線? 夢のような高速鉄道!
日本が世界に誇る新幹線の歴史もすでに50年以上!
しかし、その50年以上前にも新幹線の計画があった??
新幹線の「すごい!」を集めた新刊『新幹線はすごい』新幹線の歴史の話をご紹介します。
日本の鉄道の標準となっている幅1067ミリの線路ではなく、それよりも広い1435ミリ幅の線路を採用した新しい路線を建設して、在来の鉄道では不可能な高速運転を行う――。
この夢のような計画は、古くは明治時代、民間によって掲げられたことがありました。
同じ夢を実現しようと、戦前の昭和13(1938)年頃に、国鉄みずからの手で立案されたのが、世にいう「弾丸列車計画」です。
それは、東京〜下関間に線路幅1435ミリの高速運転専用の新線を建設するという計画。最高時速200キロ運転を実施し、東京〜下関間を9時間で結ぼうというものでした。
路線は一部を電化するものとして、電気機関車、蒸気機関車の設計も開始されました。ルートは現在の東海道本線、山陽本線にほぼ沿うものとされて、東京〜下関間には途中、横浜、小田原、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、尾道、広島、徳山、小郡の16 駅を設置するという計画です。
そして実際に、建設工事が着手されます。それは、とくに難工事が予想される、トンネルの掘削などから始められました。
しかしその後、太平洋戦争が開戦し、やがて戦局が激化していきます。こうしたなかで「弾丸列車計画」は中止。
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