【連載】適菜収 死ぬ前に後悔しない読書術
〈第24回〉読者は消費者ではない
哲学者・適菜収が「人生を確実に変える読書術」の極意を語る!
「読書で知的武装」するなんて実にくだらない!
「情報を仕入れるための読書」から、いい加減、卒業しよう!
ゲーテ、ニーチェ、アレント、小林秀雄、三島由紀夫……
偉人たちはどんな「本の読み方」をしていたのだろうか?
正しい「思考法」「価値判断」を身に付ける読書術とは?
哲学者・適菜収が初めて語る「大人の読書」のススメ。
第24回
読者は消費者ではない
古典とは古い本のことではありません。
現在に生きている本のことです。
古典は古びることはありません。
なぜなら、常に現在を突き動かしているからです。
古典は黴(かび)臭い、堅苦しいと思っている人もいるかもしれませんが、実際にはその正反対です。本質的に危険であり、最初の三十ページでも読めば、無理やり引き込まれてしまうようなものです。
特に世界文学の名作にはそのくらいの力がある。
そこに引き込まれた経験が一度でもあれば、子供は「おそらくこの先も古典を読めば何かがあるのだろう」と推測し、引き続き本を読んでいく。
最初の三十ページさえ読むのがきついという人もいるかもしれません。
しかし、完成された文学は駄菓子とは違います。
細部は全体に影響を与えるので、ハリウッド映画のように最初から見せ場を作ったりしない。文学の目的は客を飽きさせないことではないからです。
誰から聞いた話か忘れましたが、映画監督のスティーヴン・スピルバーグは数秒に一回の割合で見せ場を作っているそうです。誰かが拳銃で狙われているとか、爆弾が破裂するとか、美男美女が踊るとか、そういうシーンを組み込むことで客を飽きさせない。
その最終目的は、より大量の人間を映画館に集めることです。
要するに興行収入です。
ニーチェは「音楽家の偉大さはその音楽家がひき起こす美しい感情にしたがって測定されはしない」と言いました。
世界文学の名作と呼ばれているものも同じです。
それは読者に媚(こ)びることがない。
全体の流れには必然性があるし、即物的な面白さとは無縁である。
読者の側にも、それなりの態度というものがあります。
読者は消費者ではない。お客さまでもない。
三島は言います。
つべこべ言わずに、三〇ページくらい黙って読めばいいのです。
〈第25回「高い次元から見る」につづく〉
著者略歴
適菜 収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『日本を救うC層の研究』(講談社)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)など著書多数。