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AI時代に「仕事を奪われる人」or「仕事を任される人」本質的な習慣の差【福田和也】

「自分の頭で考えること」「礼儀正しくあること」


対話型AIChatGPT」の話題で持ちきりの日本社会。今後雑務をAIに代替させ人手不足が解消できるのでは? いやいやホワイトカラーの産業革命が起き、大量の失業者が溢れるにちがいない? 自分の頭で考えなくなる? 等々期待と不安の声が入り混じる。技術の進歩は抗えないが、「仕事」には必ず人と人との出会いと付き合いが生じ、そのなかで自分の頭で物事を考え選択しなければならないことがある。『福田和也コレクション1 本を読む、乱世を生きる』が伝える「自分の頭で考えること」の大切さ、「礼儀正しさ」の意味は、まさに慧眼である。


写真:PIXTA

 

■自分の頭で考えること。「世論づけ」にならぬこと

 自分の目できちんと見て、自分の頭で考え続けるのは大変なことなんだ。

 仕事をはじめると、環境や生活が一変する。

 仕事の上で、覚えなければならないことはたくさんある。

 毎日、会社に行き、朝から晩まで、会社のなかですごす。

 つまり会社に人生の過半を奪われることになる。

 でも、それは当然のことだ。君は会社から給料をもらっているんだから。

 給料をもらっている、ということは会社に生活の過半を売るということだ。

 だから、そういう生活、つまり会社に時間を売った上で、物を考えるのは並大抵ではない。

 君も、学校の先輩などが、就職すると同時に、常識的になったり、スリリングでなくなったりして驚いたことがあるだろう。

 そして、社会に順応すると、こんなになってしまうのか、と恐れたりするだろう。

 でも、そういう変質は、会社による教育とか、当人の適応の結果とは必ずしも云い切れない。

 たしかに今の日本は、社会的な教育がほとんどなされていないから、会社が教育機関みたいになっていて、電話のかけ方から挨拶の仕方まで教えなければならないから、会社に入って見違えるようになるという例はままある。

 しかし、根本的な部分での変化は、そうした研修などで生じるものではないと思う。

 結局それは、会社に入ると、「自分の頭で考えなくなってしまう」ことに原因があるんだね。

 考える時間がない。というよりも、余裕がないからだね。

 学生の時は、いくらでも時間があった。

 だから、いろいろな問題を自分なりに解釈したり、掘り下げたりすることができた。

 けれども、それが、社会人になるとない。

 本当は、働いていたほうが、物を考える材料はたくさんあるんだけれどね。学生だと、どうしても問題が字面(じづら)の上だけのことになってしまいがちだけれど、一度働き出すと、自分にとって抜き差しのならない、厄介で複雑な問題が、具体的な形で転がっている。

 だから、会社というのは、頭を使うのにはいいはずなんだけれども、何しろ、時間がない。

 頭は、法律手続きだの、プログラムだの、債権の評価法だのの勉強で一杯になってしまう。

 そうなると、どうしても、肝心なことで頭を使わなくなる。

 考えないですませる。

 新聞やテレビが主張することで、すませてしまう。つまり、頭が「世論(せろん)づけ」になってしまう。

 僕は、仕事や何かで、財界の人ともよく会うんだけれど(別に自慢しているわけじゃないよ)、いつもこういう偉い人たちが、まったく自分の頭を使って考えないことに、とても驚かされる。

 いやきっと、その人たちは、仕事の上では、ものすごく明晰なんだと思うよ。新製品の開発とか、製造設備がどうの、といったことにはとても頭が回るんだろう。

 でも、一歩その世界を離れるとどうしようもない。社会や政治については、とても月並みで、ニュース・キャスター並みの無内容なことしか云えない。自分の頭で考えていないんだね。

 それでも、財界人にまで出世したんだからいいじゃないか、というようなことを君は云わないだろうね。

「礼儀正しい」ということは、「油断をしない」ということだ。

 では、会社に入っても、考え続けるにはどうすればいいのか。

 これはもう、「緊張感」をもつしかないね。

 前に云った、人をよく観察するということもそうだけれど、とにかく事態や状況をそのまま鵜呑(うの)みにしないで、常に「文脈」や「意味」を考え続けること。

 そういう緊張感が大事だ。

「礼儀」だってそうだ。

 礼儀だ何だと云うと、そんな話は研修でいやというほど聞いたと、反発されるかもしれない。

 もちろん、僕だって、今さら君に、「礼儀正しくしろ」なんて云うつもりはないよ。

 ただね。礼儀の本質とは何か、ということを、云いたいだけだ。

次のページ「礼儀正しい」ということは、つまり「油断をしない」ということ

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◆時代に屈しない感性と才覚をいかにして身に付けるか◆

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生きることを、世界を、さまざまな人々を、出来事を、風景を、しっかりと味わい、その意味と感触を把握し、刻み込むためには、最高の訓練だ。
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読書は、時間を作りだす。(中略)
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しかもそれは、まったく作品自体によっては決定されない。
ただ読者によって、つまりは読み、理解し、想起するという精神の働きだけによって決定される。
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(「本は、人生を作る」より)

 

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好奇心は、人間にたいする絶望的な真実にも、耐えることが出来ます。それは美しくはないかもしませんが、人間という卑小で俗にまみれた存在を、最終的に肯定する力をもっているのです。
さらに云うならば、人間にたいする好奇心は、人間だけで成り立っている世間、世の中にたいする興味であり、そこで積極的に生きるための、大きな支えになるのです。
人にたいして好奇心をもつことは、本書のもっとも大きなテーマである、果敢に現世を生きることの、核になりうるのです。それは、生きること自体への興味を深めてくれます。
(「悪の対話術」より)

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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