こんなに弱くてゴメンナサイ…明石城(兵庫県明石市)の謎
“歴史芸人”長谷川ヨシテルが太鼓判を押す!?「最弱の城」
お初にお目にかかります!歴史芸人の長谷川ヨシテルです。
芸人で一番戦国時代に詳しい人を決めるクイズ番組で優勝して以降、
歴史系番組の出演や放送作家や、各地の歴史イベントのMC、博物館や美術館でのトークショーなど、
歴史界隈で様々なお仕事をさせていただいている者です。
よろしくお願い申し上げます!
さて、皆さんも、
お城巡りをした時に、こういった文言を目にしたことがあると思います。
「難攻不落の城」
「最強の城」
それらを目にして私は思ったのです。
「お城は人間が造ったもの・・・、きっと想定外の“弱い城”があるはずだ!」と。
ということで、あなたの母性本能をくすぐる『最弱の城』を追い求めていきたいと思いますので、
どうぞお付き合いくださいませ。
まず取り上げるお城は「明石城」!
JR明石駅からも眺めることが出来る、巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)が印象的なお城です。
築城されたのは、江戸時代初期の1619年!
2代将軍「徳川秀忠(ひでただ:家康の子)」が「小笠原忠真(ただざね:家康のひ孫)」に命じて築かせました。
その背景には、秀忠さんの深刻な悩みが深く関係していました。
その悩みとは―――
【西国の外様(とざま)大名が謀反(むほん)を起こすかも・・・!】
「大坂の陣」が終わったばかりで、まだまだ戦の雰囲気が漂っています。
しかも、西国には徳川家に敵対しそうな「島津家(薩摩藩:鹿児島県)」や「毛利家(長州藩:山口県)」などの手強い大名たちがいるではありませんか!
「その大名が謀反を起こした時のために―――」
秀忠さんは「瀬戸内海・中国・四国・九州」へ繋がる重要なポイントである明石に、新たな城の建築を命じたのです!
幕府の力の入れ様は、相当なものでした。
普請奉行を江戸から派遣して、普請費用として【銀1000貫目】を与えました。
銀1000貫目というのは、現在の価値にすると何と【約31億円】になるそうです!
さらに、城下町の街づくりを担当したのは、
忠真さんに客分として迎えられていた「宮本武蔵」だったと言います!
つまり、築城プロジェクトにおける予算や人材はバッチリ!
明石城は「難攻不落の名城」となるはずであったのですが、実は『最弱の城』の1つなのです・・・!
お城にあるパンフレットには、江戸時代初期の頃の明石城の城絵図が載っています。
それを見ると「本丸」の東側に「二の丸」や「三の丸」が広がり、
入り組んだ「虎口(こぐち:入口)」や敵を寄せ付けない「高石垣」が連なっていることがすぐにわかります!
そして、実際に歩いてみると、その防御力を体感することが出来ます!実に見事です!!
このように厳重な造りだったら、敵が東側から攻めても落ちることはないでしょう・・・、
って、ちょっと待ってくださいな!
明石城は【西国の外様大名の謀反】に備えて築かれたお城でしたよね。
西からの攻撃が恐かったのに、東ばっかり固めてどうするのよ!
絶対とは言い切れないけど、たぶん西から攻めてきますよ。
いや・・・、待てよ。
このお城は、幕府が31億円もの大金を投資して築いたお城です。
そんな馬鹿な話があるわけありません、あるわけがない!
城の西側に、西国大名を迎え撃つための秘密が隠されているはずです。
城絵図を再び見てみると、
何やら、本丸の西側には「山里郭(樹木屋敷)」という郭(くるわ)があります。
なるほど!!
東側に力を入れた縄張りに見せかけて敵を油断させ、この樹木屋敷と呼ばれる郭で敵を迎え撃つということですね!
これは、大河ドラマで話題の「真田丸」のような鉄砲や大砲を備え付けた超攻撃的な郭なのでしょうか!
はたまた、樹木の中に敵をおびき寄せ、包囲殲滅するような驚くべき罠なのでしょうか!
気持ちを高ぶらせて山里郭へ!!!
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