ChatGPTの普及で改めて暴露される「動物化」【仲正昌樹】
「ChatGPTとどう付き合っていくのか」問題の前にその特性を学べ
■ChatGPTを使っていると人間の能力は劣化するのか?
最も真剣に考えるべきは、やはり② [ChatGPTを当たり前のように利用し続けることによって、それを使う人間の作文能力と読解能力はどうなるのか] であろう。人間は、コピペしながら、自分の考えを産み出す存在である。PCがない時代でも、他人が語ったり、書いたりしたことをメモしたり、何となく記憶しておいて、それを再現しながら、自分の考えを付け加えて変形するということをやってきた。あらゆることを、完全にオリジナルな発想で語れる人はいない。
PCやネットの普及によって変わったのは、従来は、他人の言うことに熱心に耳を傾け、本や論文、記事をちゃんと読んだうえで、手書きでコピペしていたのが、PCの検索+コピー+ペーストで簡単に実行できるようになったことだ。そのためコピーしているという実感が薄れ、単なるコピペの繰り返しを、主体性のある“執筆”だと勘違いし始める可能性はある。ChatGPTはその検索・コピペの手間、更には、その文体を整える手間さえ省いてくれる、という意味では画期的だ――コピペしたと一目で分かる、
コピペに慣れているせいで、漢字の書き方・読み方、英単語の正確な綴りが分からなくなっている人は少なくないのではないか。ChatGPTへの依存が進めば、母国語でどうやって文章を完結したらいいのかさえ、どこでどういう「てにをは」を使ったら、正しく文節を繋げられるのか自分では判断できない、“動物”たちがもっと増え、学者や知識人、ジャーナリスト、編集者さえ、そういう能力をちゃんと持っているか怪しいということになりかねない。
「人間は、自発的に他者とコミュニケーションしようとし、そのために自己の表現能力を絶えず向上させる存在である」、という西欧近代的な建前をこれからも維持しようとするのであれば、やはり教育や学術の場、会社や役所での正式なやり取りで、ChatGPTの使用を限定する必要があろう。
しかし、全面禁止を目指せ、ということではない。それは、便利なアプリを使用したいという個人の自由を侵害することになるし、抜け穴はいくらでもできるだろう。むしろ、ChatGPTにはどのような特性があり、人間とはどこが違うのか、逆に、私たちがクリエイティヴな表現力を示すには、ChatGPTとの違いをどう出すべきか学習し、(ChatGPTを信じ切るのではなく)支障のない範囲で使いこなせるようになる必要がある。うまい付き合い方をするための目安を、分野ごとの特性に合わせて作成しないといけないだろう。
文:仲正昌樹