ChatGPTに脅威を感じる前に、自分はちゃんと「人間」をやっているかを振り返ろう【仲正昌樹】
「AI以下」の人間とは? 「人間」らしく判断する能力とは?
ChatGPTを開発したOpenAIのサム・アルトマンCEOは、AIを利用した選挙干渉は「重大な懸念事項」になっていると指摘し、規制が必要だと議会証言した。またOpenAIのスタッフは、AIに関する米国のライセンス機関の設立も提案。AIに対する安全性をめぐる世界的な論議は加速している。一方、日本では各大学の学長が、学生がリポートや論文などの課題提出のためにAIを使うことを禁止するといった声明を相次いで出している。そんな折、哲学者・仲正昌樹氏のAI論考に注目が集まっている。
■ChatGPTの脅威を訴える識者たちとは?
ChatGPTの急速な発展によって、労働力としての「人間」が不要になったり、ChatGPTが量産するフェイク情報で世論が左右され、政治的決定がなされるようになったりするのではないか、といった脅威を訴える識者が多い。
私の勤めている金沢大学でも、ついさきほど、(もともとは電子工学科の教授だったはずの)副学長名で、レポートや論文作成での生成AIの使用に関する通知が来たが、その最初の段落の結びが、「今後の社会では、AIをいかに活用し、うまく共存していけるのかが、喫緊の課題として問われています。まさにシンギュラリティを迎えつつあるように見えます」、となっている。文科省や学長に言われて、仕方なく、大急ぎで作文したのだろうが、このいかにもふんわりした書きぶりはどういう感覚なんだろう、と思った。文系の教員が、「シンギュラリティを迎えつつあるように見えます」、などと公式の文書で書いたら、多くの理系の教員は、「これだから文系は…」、とステレオタイプな反応をするだろう。
で、実際、どうしろというのかと言うと、学生がAIを勝手に使わないよう、①課題レポートを宿題とせず、講義室内で作らせる ②課題レポートの評価には、内容を見るだけでなく、学生と面談などして中身の理解を確かめる ③レポートの課題に対して、どういう条件で聞いたらAIがどう答えるか、予め確かめる、といったものだ。少しでも、教育現場で働いた人なら、「何だ、これは、教育現場を体験したことのない役人の妄想か?」「どれだけ無駄な仕事を増やせば気がすむのか!」「こんな理事なら、本当にChatGPTで置き換えてほしい」、と思うだろう。この担当理事の出身母体の教授たちも、通知を見た瞬間、私と同じようなことを思ったことだろう。
金沢のように、ある程度の規模があって、新しい研究拠点になることを標榜している大学の教育担当理事、電子工学者という肩書のある人がこんな文書を慌てて配布するくらいだから、官公庁や大企業、教育機関の広報担当たちは右往左往して、あらぬことを口走っているだろうと思う。
私はこうした、いかにも報道やネット情報に付和雷同するような、“脅威論”は根本的に矛盾していると思う。いかにも「ブルシット・ジョブ」(デヴィッド・グレーバー)を増やすだけに終わりそうな無意味な脅威論を見ていると、本当に、「こんなブルシット・ジョブ製造機のような幹部は、さっさとChatGPTで置き換えてほしい」、と言いたくなる。
こんなことだけ言っていても、仕方ないので、「人間」らしく聞こえる真面目な問いを立てたい。ChatGPTが「人間」にとって脅威だという前に、私たちはちゃんと「人間」をやっているのか?