榊原郁恵から堀江しのぶ、広末涼子、AKB48、吉岡里帆。水着はアイドルの通過儀礼である【宝泉薫】
■宮沢りえや菅野美穂のヌードはアイドルの暗黒時代だった!?
そんなこんなで、80年代、第二次アイドルブームでは、デビューしたらまず自己紹介代わりに水着グラビアをやる、という流れが70年代以上に定着した。これはアイドルが売れる原理にも合っていて、初々しさをアピールできる。たとえ本人が嫌がり、恥ずかしがっていても、それが男には可愛くいじらしくも映るからだ。
とはいえ、ヌードまで行くのはダメ。プールや海でも見られる水着は日常の延長だが、セックスでもしないと見られないヌードは非日常の極みなのだ。アイドルはあくまで疑似恋愛の対象であって、疑似セックスの対象ではない。そういう意味で、水着はアイドルの始まりで、ヌードはその終わりともいえる。
その「水着はアイドルの始まり」に徹底してこだわった芸能事務所がイエローキャブだ。野田義治社長はタレントたちに「売れたら服を着せていく」と宣言して、実際、売れっ子にしていった。
その起点となったのが、堀江しのぶ。巨乳で注目され、83年には「ビキニ・バケーション」で歌手デビューも果たしたが、郁恵の「夏のお嬢さん」のようにはヒットしなかった。そのうえ、胃がんを患い、23歳で亡くなってしまう。
イエローキャブではその後、みるく(グループ名は「乳」に由来)の堀口綾子が22歳で自殺。また、事務所は違うが、意外な巨乳で話題だった岡田有希子も18歳で自殺したことから、当時は「巨乳と夭折」というギャップめいた感覚も抱かされた。
ただ、細川ふみえや山田まりや、雛形あきこ、かとうれいこらが「イエローキャブの時代」を築いていく。これには、80年代末から90年代前半にかけて、アイドルと水着の関係が両極化したことが影響していた。水着を拒否したり、一足飛びにヌードに走ったり。「ヌードはアイドルの終わり」という原理からいえば、宮沢りえや菅野美穂のヌードはアイドルの暗黒時代を象徴するものでもあった。