山下達郎やデヴィ夫人にもいちゃもんをつけた、ジャニーズ憎しの「ジャニーガー」たちがそれを「忖度」だと思い込む理由【宝泉薫】
そろそろ収束に向かいそうなジャニー喜多川のセクハラ疑惑騒動だが、ミョーな広がりも見せている。ジャニーズ事務所のタレントでも元タレントでもない芸能界の大物が、巻き込まれたりしているのだ。
まずは、山下達郎。
「ジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。私の人生にとって一番大切なことは、ご縁とご恩です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか」
続いて、デヴィ夫人。
「ジャニー氏が亡くなってから、我も我もと被害を訴える人が出てきた。死人に鞭打ちではないか。本当に嫌な思いをしたのなら、その時なぜすぐに訴えない。代わってジュリー氏が謝罪も済ませているのに、これ以上何を望むのか」
こうした擁護的発言が、ジャニーズ憎しの人たちからいちゃもんをつけられた。
なお、筆者がここベストタイムズで6月に書いた記事(「ジャニー喜多川告発騒動」に見る後出しじゃんけん的「ミートゥー」運動の悲哀)への批判も見かけた。記事のタイトルや著者名を含め、あらかた忘れてしまったが、次の文章が引用され「強者の論理」などと指摘されていた気がする。
「ジャニー騒動の場合は、一方の当事者が少年だったりもするので、状況がやや異なるが、彼が手がけたアイドルたちのなかに彼を悪く言う者はほとんどいない。告発者が圧倒的に少ない以上、大半のケースがある意味ウインウインだったという推測も成り立つわけだ」
注目したいのはその批判者が「強者の論理」を悪いことのようにとらえていること。そこが筆者との決定的な違いだ。今回の騒動でジャニーズ叩きをしている人はもっぱら、強弱と善悪とを単純に結びつけ、物事を決めつけているふしがある。ジャニーやジャニーズ事務所を強者=悪、セクハラ告発側を弱者=善とする決めつけ方だ。が、世の中そんなに単純ではない。