国際ロマンス詐欺、給付金の不正受給・・・中流の陥落【緒形圭子】「視点が変わる読書」第2回
「視点が変わる読書」連載第2回「中流の陥落」〜『滅茶苦茶』染井為人著
時代は乱世です。何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみませんか? いえ、あなたの人生を変えてしまうかもしれない・・・「視点が変わる読書」連載第2回「中流の陥落」。染井為人の『滅茶苦茶』を紹介します。私たちが生きる社会はいかに脆弱な基盤にあるのか。もはやまったく油断ができない時代なのだ。
「視点が変わる読書」第2回
中流の陥落
『滅茶苦茶』染井為人
梅雨が明けたばかりの猛暑の日、旧知の編集者S氏から電話があった。S氏は編集者といっても出版社の社員ではなく、契約で仕事をするフリーであり、仕事は編集に限らず、校正、インタビューのまとめと幅広い。いっとき同じ出版社で業務委託の編集者として席を並べていたことがあるが、その仕事ぶりには感心させられた。仕事が堅実であるからオファーが途絶えることがない。そこを仕事の質が落ちないよう量を調整しながら回していく。勤めていた出版社を辞めてフリーになったばかりの私は働き方の見本を見せつけられた気がした。
お互いその出版社を離れてからは年に数回のメールのやりとりだけの交流になっていたS氏からの突然の電話の内容は、「郷里の新潟に戻って、介護職に転職する」だった。
ど、どういうこと?
聞けば、コロナ禍で仕事が減ったものの、貯えでしのぎ、これから挽回しようと思った矢先、担当していた週刊誌のインタビューのまとめが頁削減のためになくなり、校正を回してくれていた編集者が会社を辞めてしまいと、不測の事態が重なって、毎月のレギュラー仕事が全てなくなってしまったというのだ。
「介護の仕事ってしたことあるの?」
「全然」
「たしか50歳超えてるよね。これから介護の仕事ってキツくない?」
「でも求人がいちばん多いんだよ」
「……」
結局「何かできる仕事がないか探してみるね……」と、あてのない約束をして電話を切るしかなかった。
コロナが5類に移行して様々な制限が解除され、人々はマスクなしで出歩くようになり、観光地は外国人客で溢れているが、かつての日常が戻ってきたわけではない。2020年~2022年のあのひどい状態を思い出してほしい。緊急事態宣言の措置が敷かれる中、外出の自粛が強要され、町から人の姿が消えた。飲食店は営業時間や形態に厳しい規制がかけられ、一時期東京では酒が呑めなかった。産業活動は停滞し、職や家をなくす人が続出した。
今現在、日本国内におけるコロナによる死者数は累計で約7万5千人、ワクチン接種後の死亡者は約2千人、この数を上回る多くの人が後遺症で苦しんでいる。
かくもコロナのダメージは大きく、その被害はいまだ拡大を続けているのだ。
『滅茶苦茶』は、2020年5月~10月、コロナ真っ只中の日本でもがき苦しむ三人の人物を描いている。
今井美世子は37歳。東京の大手広告代理店でメディア・コンテンツ事業部のチーフディレクターの地位にあり、仕事は順調だ。しかし容姿に問題があるわけではないのに未だ独身で、つき合っている男もいない。
二宮礼央は群馬県内一の進学校の二年生。中学までは学校一の秀才だったが、高校に進んでからは勉強についていけず、落ちこぼれている。父親は大手製紙会社の関東支部の課長で母親は専業主婦、公立中学に通う妹が一人いる。
戸村茂一は静岡県沼津市で三店舗のラブホテルを経営している。父親から受け継いだホテルは年々売り上げは落ちているものの、小さなテコ入れを繰り返し、妻と大学生、中学生の息子三人を養っている。
説明から分かる通り、三人は経済的弱者ではない。中流の中でも比較的恵まれた境遇にいる。しかし、そんな彼らだからこそはまってしまう陥穽がコロナ禍にはあったのだ。
染井為人の小説はミステリーに分類され、事件ありきではあるが、それに関わる人間を描くことに重きを置いている。作家自身、ウェブメディアのインタビューでこう話している。
「私自身はミステリーを書いているという意識はありません。ミステリーと言うとトリック、真犯人というイメージですが、私の作品にそういう要素はないと思います。私が書きたいのはいろいろな環境、境遇にいる人たちが考えていること、感じていることです。同じ環境にいてもそれぞれ考えていることは違ったりするもの。そういう人たちの気持ちを表現できればと思っています」(「フムフムニュース」2022年5月8日 主婦の友社)
言葉通り、染井は実にいろいろな環境、境遇の人間を描いている。
生活保護の不正受給を続けているシングルマザー、一家三人を惨殺した罪で死刑判決を受けた青年、引きこもりのユーチューバー、凶悪な行動で恐れられる半グレ集団、トラックでコンビニに突っ込んだ老人……負の要素の強い人物を描いてきた染井が『滅茶苦茶』で主人公に据えたのが、まっとうに生きる中流三人だった。
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