弱音をはく練習が足りていないあなたへ 悩みを抱え込みすぎずに生きるヒント【沼田和也】
序章「弱音をはく練習」より
最新刊『弱音をはく練習 悩みをため込まない生き方のすすめ』は、かつて自身も精神病院の閉鎖病棟に入った経験がある著者が、現在の日常に生きづらさを抱えた人へ贈る珠玉の助言をまとめたもの。キリスト教の牧師として活動する著者が、教会を訪れた人々との対話を通じて得た知見がちりばめられている。早速、その「まえがき」部分を眺めてみよう。
■弱音をはいてはいけない?
弱音をはく練習。弱音をはくことは、じつはとても難しい。この本には、教会に相談に来た人のことが繰り返し語られるだろう(個人が特定できないよう詳細を伏せたり、改変してある)。しかし、考えてみれば分かることだが、どうしようもなく困ったときに、教会に相談に行ってみようと思う人はごくわずかである。
うちの教会で毎週金曜日の夜にやっている「聖書を読む会」には、さまざまな宗教に属する人がやってくる。以前はムスリムも来ていたし、モルモン教徒が来ていたこともある。最近は、無神論というほどではないが、自覚的になにかの宗教を信じているわけではない、という人が多い。
日曜日の礼拝はともかく、この聖書を読む会に関していえば、キリスト教徒のほうが少ない。そこに来ている、ある新宗教を信仰している人が、こんなことを言った。そのときはちょうど、「オウム真理教の事件以降、信仰を生きる支えにする人は減った」というようなことを語りあっていた。
「オウム真理教の事件も関係あるかもしれませんが、そもそも宗教が必要なくなったのかもしれませんね。だって、みんなまず、精神科やカウンセリングに相談に行くじゃないですか。昭和の昔みたいに精神科イコール頭のおかしい人が行くところ、みたいな偏見もなくなったし。悩んだら精神科ですよね。悩んだらお寺や教会、ではなくて」
そのとおりだなと思った。たいていの人は宗教ではなく、精神科も含めた医療に頼るし、福祉に具体的な救済策を求める。悩みを聴いてほしいときでもカウンセリングに行こうとするだろう。キリスト教を信じているわけでもないのに教会へ行き牧師に相談するというのは、優先順位としては最後の最後になるのではないか。
そう考えてみると、その最後の最後である教会にやってくる人の、いわゆる「問題の解決」がなぜ多くの場合難しいのかも分かる気がする。最後の最後まで後回しにしてきた、置き去りにされてきた、その人にとっての重い宿題に、一緒に向きあうこと。それが教会で行われていることなのかもしれない。そんなに重いものを、軽々と取り去ることはできない。わたしがしていることは、「問題の解決」ではなく、その人が問題を抱えている状況に、できるだけ一緒に立ち会うことである。わたしにとってはさらにもうひとり、神が立ち会ってくださっているのだが。
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沼田和也著 最新刊
『弱音をはく練習 〜悩みをため込まない生き方のすすめ』
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目次
序章 弱音をはく練習
弱音をはく練習が足りていないあなたへ
第1章 自分で自分を追いつめないために
「もうこれ以上は無理です」
生きていく意味が分からなくなったとき
第2章 生きづらさの正体を知るために
ある日突然、学校に行けなくなった
ひきこもりだった当事者が語れること
生きづらさの原因は「心」?
第3章 嫉妬心で苦しまないために
コンプレックスを手放さないという選択
他人と比べて嫉妬に苛まれるとき
他人を羨み、悔しくて仕方がないとき
第4章 人間関係を結び直すために
人間関係に疲れきってしまったとき
ため息一つを共有してもらえたなら……
S N S 時代は「別れる」ことが容易でない
第5章 憎しみに支配されないために
怒りや憎しみを無理に手放さなくてもいい
対人トラブルを起こしてしまいがちな人の共通点
「我が子をどうしても愛せない」と慟哭する女性
D V 被害者が虐待を繰り返されないために
第6章 性的な悩みに苦しまないために
「不倫をする人」を断罪しても仕方がない理由
性的な悩みは公の場では語られない
「わたしは男/ 女です」と言いきれない人からの手紙
「よけいなお世話」によって救われてきた経験
第7章 理不尽な社会を生きるために
リストラ・ハラスメントに誰もが遭遇する時代
この苦しみは他人のせいか? 自分のせいか?
死にたくなるほどお金に困っているとき
第8章 孤独な自分を見捨てないために
なぜよりによってわたしが苦しむのか?
子どもの頃によく見た「死刑の夢」
無駄で面倒なことに、幸せは宿っている
「自分自身の物語」をつくり、その読者になる
第9章 他人と痛みを分かちあうために
「ずるい」という想いを認めることから
人は何歳からおじさんやおばさんになるのだろう?
不純な動機で善行をするのはだめ?
終章 弱音をはきながら生きる
他人を妬む気持ちはなくならない