自分が負の感情にのめりこんでしまったとき、その泥沼から脱するきっかけとは?【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第20回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」赤裸々に綴る連載エッセイ第20回。
【今年の夏、私は泥沼にはまりかけていた】
大きな窓から差し込む光で目が覚めた。思ったよりも寝すぎたかもと思いながら、すぐそばに置いてある携帯を手に取って時刻を確認すると、まだ時刻は五時半で、すぐ隣からはすうすうという規則正しい寝息が聞こえてきた。隣で心地よさそうな顔で寝ているのは五年来の親友だ。大学二年生で同じ専攻になってから、私がどんな状況に陥ろうとも「何か問題でもあった?」と涼しい顔をして隣にいた。一度も途切れることなく関係が続いていて、私の次に私を知っているのは彼女と言っても過言ではない。彼女とは何度も一緒に泊まった経験があるが、毎回私の方が先に目が覚めてしまうのだった。
今回訪れたホテルは、静かな住宅街の高台に位置している。部屋の一部が建物からせり出していて、ちょっとしたインナーテラスのような造りになっている。座り心地が良いソファと小ぶりなサイドテーブルが置いてあって、そこに座り、これまで登ってきた途中に点在していた住宅とその先に広がる海をぼーっと眺める。住宅に囲まれているのに外からは人の声や車のエンジン音すら聞こえてこない。まるで世界が私と彼女しかいないのではないかと錯覚してしまうほどの静寂に包まれていた。
今年の夏はどちらかというと塞ぎ込む傾向にあった。どこか心身の不調を抱えつつも、日々舞い込んでくることへの対処に追われて休むことができずにいた。そんな日々を過ごしていると当然気持ちの上下する幅は大きくなっていき、ますます「うっ」と思ってしまう回数は増していくばかりであった。心のどこかで「私の好きな私」でいられず、どちらかというと「私の嫌いな私」に近づいていくのを感じていた。その事実にうっすら気がつきながらも、泥沼にはまりかけている自分を見て見ぬふりをしていた。
自分の生き方や考え方を変えるのは簡単なようで、とても難しいことを知っている。一度始めた新しい何かを、意識しないぐらいまでに自分の身体に刷り込んでいくのは時間もかかるし、何よりも「変わり続ける」というエネルギーを絶えず注ぎ続けなければいけない。勉強やスポーツでは偏差値が上がったとか、試合で勝てるようになったとかの努力と成功体験がセットになっているから継続しやすいが、生き方や考え方を変えるとなると分かりやすい指標がないために、「あれこれやっても結局何も変われていない」と心を挫きやすくなる。
その挫きが何回か続いていくうちに、人生を良い方向に向かわせようと努力するよりも、現状維持のままか、あるいは不幸や不満を抱えたままでいる方が楽なのではと考え始めるようになる。その状態にのめりこみすぎるとなかなか脱せなくなるのを私は知っていた。生きてきた中でこういうことは何度か経験していたし、年に一度やってくる風邪のようなものだとは理解しているが、やはりその状況に陥ると「今回もこの状況抜け出せるかな」と漠然とした不安に襲われてしまうのだった。