「保守」を自称する反日勢力が跋扈する日本。いまこそ三島由紀夫の言葉を思い出せ!(前編)【適菜収】
【隔週連載】だから何度も言ったのに 第50回
■三島は愛国心を嫌った
ネット上で、百田と三島由紀夫を並べて評価する変なおばさんもいたが、そもそも百田は三島をほとんど読んでいない。本人がそうツイートしている。
《三島由紀夫って、ほとんど読んでない^^;
面白いのがあっるなら、逆に教えてほしい》(2018年3月18日)
《なぜだか、三島由紀夫と太宰治は苦手です。芥川龍之介と川端康成はそうでもないのですが》
というツイートに対しては、百田は《私は4人とも苦手》と答えている。
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百田の対極にあるのが三島である。三島は愛国心を嫌った。
《実は私は「愛国心」という言葉があまり好きではない。何となく、「愛妻家」という言葉に似た、背中のゾッとするような感じをおぼえる。この、好かない、という意味は、一部の神経質な人たちが愛国心という言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがっている。ただ何となく虫が好かず、そういう言葉には、できることならソッポを向いていたいのである》《愛国心の「愛」の字が私はきらいである。自分がのがれようもなく国の内部にいて、国の一員であるにもかかわらず、その国というものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらいである》(「愛国心」)
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三島はご都合主義の「愛国者」を軽蔑した。三島は「低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、こういう劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを卒業していると考えている」(「日本への信条」)とも述べていたが、この部分に関しては見通しが甘かったようだ。
チープな愛国ビジネスにコロっと騙される連中は依然として少なくないのである。
(後編に続く)
文:適菜収