東京にある「絵になる廃線」東京都水道局小河内線【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第2回
蒸気機関車の煙がもくもくと集落へ
さて、試しにこの鉄橋の上を見に行ってみたが、草が茂っていて進むのは難儀そうなので、奥多摩むかし道へ迂回しよう。山道を一気に上り、国道を走る自動車の音をはるか下に聞ききながら中山の集落を抜けて行く。所々で奥多摩湖を俯瞰することができた。旧街道なので、馬頭観音や石仏などが目につく。馬の水呑み場と案内板のある石の水槽は古そうなもので、「東京府馬匹(ばひつ)畜産組合連合会」と彫られている。調べてみるとこの組合は、羽田競馬場や洲崎競馬場(江東区東陽)、八王子競馬場など戦前の競馬の主催者でもあったらしい。いずれにせよ、馬が大切な交通機関であった時代の話である。甲州へ抜ける主要街道であったこともあり、途中には商店の廃墟もいくつか残っていた。
「奥多摩むかし道」こと青梅街道の旧道は、新国道411号につかず離れず並行しているが、あちらがトンネルに入るたびにこちらは迂回するので、累計の距離としてはだいぶ差がありそうだ。梅久保の集落を過ぎたあたりで高い橋脚をもった廃鉄橋が見えた。コンクリートの橋桁も撤去されずに残っていて、列車が走ってきてもおかしくないほど「新品」に見える。それもそのはずで、戦後の昭和27年(1952)竣工というのは、廃線としては新しい部類で、ちゃんと使っていればまだまだ耐用年数に余裕はある。
間もなく境の集落に差しかかった。このあたりは広大な「大字境」に属しているのだが、そのうち小字の境がここである。地名の由来としては「小河内と氷川の境」、またはかつて「武蔵と甲斐の境だった」という説もあるという。現在の多摩川流域は山梨県側まで広がっており(丹波山村全域と小菅村の大半、甲州市の北部)、考えてみれば中途半端なところに都県境つまり武蔵と甲府の国境が通っているので、かつて境界が東寄りだった説もありそうな話ではある。
敷設してそれほど経っていなさそうな「福祉モノレール」の線路が段々畑の上の方へ続いている。このモノレールは高齢者や障害者が自力で車道まで歩いて出るのが困難な場合に、その住民の申請により奥多摩町が設置するもので、昨今では各地で見られるようになってきた。その上を高い鉄橋が跨いでいるが、これも小河内線のものだ。先ほどの白鬚トンネル上のと異なるのはガーダー橋であることで、緑色に塗られたそのガーダーはそれほど古びて見えない。やはりこれも西武鉄道が塗り替えたのだろうか。
60代後半とお見受けする地元のおじさんに話を聞くと、小河内ダムの建設工事に伴ってこの鉄橋を貨物列車が走っていた頃を記憶されていて、急勾配を上っていくので煙がすごく、こちらの集落の方までもくもくと降りてきたそうだ。なるほど平均25パーミルを超える急勾配で、しかも2つのトンネルに挟まれた区間で煙が立たないはずがない。放置されてすでに半世紀以上を経ているのだが、畑を見回っていると、たまに鉄橋の部品と思われるものが落ちていたりするという。橋桁が落ちなくても、部品が頭の上に落ちてきたら心配だろう。
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